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2013年11月6日(水)
「河北省」

 中国や韓国には高校の時から何度か練習や試合にいかせていただくことがありました。親のお金で行ったこともありますが・・・。その中で「河北省」というところの練習施設に社会人になってから岡山県選手団の一員として2週間行かせていただくことができました。
 そこの環境は今まで自分がやってきた中で一番充実した練習ができました。練習は朝・昼・晩の3部練習。大きな体育館に1階が女子で2階が男子、体育館のすぐ横に寮があり、食事もそこでとることができ売店もあります。外にでる必要がありません。洗濯も部屋の前に置いておいたらたたんで帰ってきます!卓球にだけ集中できる環境が整っていました。
 練習では多球練習が本当にしんどく、ピッチが速く一回の量も多い。ツッツキボールをドライブする練習でもツッツキボールの回転が日本では考えられないくらいかかっていて、あげるのに必死でした。しかし、球だしをするコーチの技術も高く、ぎりぎりとれるボールが次々とくるので、こちらが必死にくらいついていくと、質の高い練習をしっかりと行うことができました。また、課題となる1つの技術を徹底して、まだやるのか?!というくらい練習を行っていました。

 2週間で自分の体重は5キロ落ち、自分でも帰った時には強くなった、あそこにもう少しいる事ができたらもっとつよくなれるなぁと本気で感じる事ができました。質の高い練習を時間をかけて行う。もちろんそれだけではありませんが、中国の強さの秘密の一部を見る事ができたとかんじました。

2013年11月5日(火)
「ブラジルオープン」

 過去の大会の中で印象に残っている大会の一つです。トップ選手の技術の話をしてきましたが、ここでは少し別の話を。前世界チャンピョンのシュラガー選手も出場した大会でした。この大会では、観客席で試合をみていると子供たちが選手の所へやってきて、サインをねだってきます。誰に対してもサインをお願いし、その後必ず「プリーズ・プリーズ」と言って来ます。はじめは何のことかわかりませんでしたが、シュラガー選手が自分の試合が終了したあとに、100枚近くのラバー(新品もありました)を子供たちに配っていました。ラバーを手に入れることに苦労している子供たちが世界にはいて、当たり前のようにラバーを使っては捨てていた自分にとっては本当に衝撃的な光景でした。シュラガー選手の行動はプロの選手として素晴らしい行動だったと思います。物を大切にしていくことを学べた瞬間でした。

2013年11月4日(月)
「トップとの差」

 その練習の中で一番自分との違いを感じたことは、多くの技術で自分を大きく上回っていることはもちろん、守りの技術でした。
 自分のドライブやサーブ、台上プレーなどこれは通じるとおもったプレーはいくつかありました、しかし守りの技術(ブロック)だけはまったくレベルが違いました。これは全員の選手に言えることで、スピードドライブやサーブなどにどうしても目がいってしまいますが、ブロック力がトップになる一番の条件だという事を感じました。打つだけではトップでは通じません。守りからの反撃や時には守りきることも大切になります。今日本のトップ選手の水谷・岸川・丹羽・松平などどの選手も守りのレベルが高いです。だからこそ世界でも活躍できているのだと自分は感じます。
 ある程度選手として完成されてから守りの技術を向上させるのは難しいと自分は自分自身が身を持ってかんじました。反応速度やボールタッチの感覚など、できるだけ早い段階で守りの練習をしっかりすることがトップになるために大切なのではないかと自分は感じました。

2013年11月3日(日)
「スーパーサーキット」

 自分が世界のトップ選手と一緒に過ごした中で、10年ほど前におこなわれていたスーパーサーキット(SC)というプロツアーがありました。そこに自分はナショナルチームからの派遣として何度か参加をさせていただくことができました。
 試合は1日1試合ですが、相手はガシアン、セイブ、キムテクス、パーソンなど過去の世界チャンピョンなど、トップ選手ばかりです。試合をやることが勉強になったことはもちろん、試合前の練習が一番自分の為になりました。試合は1日1試合なので、練習不足になってしまします。夕方から試合の為、自分は朝から練習場にはりつき、トップ選手が来るのを待って、暇そうにしていると、次々と声をかけてくれます。フットワーク練習の相手をさせてもらったり、ブロック練習の為に必死にドライブを打ったりと、ハンパではない緊張感の中練習をすることができました。

2013年10月3日(木)
世界を体験して3

 ドイツに行って一番の思い出はブンデスリーグの試合のベンチに入れたことです。チームのユニフォームをもらい、試合前のロッカールームから練習。試合中もベンチに入っていました。
 観客席からの応援は太鼓にラッパ。日本では考えられません。でもサーブの構えをした瞬間にその音はピタッとやみみんながプレーに注目します。相手チームのサポーターも遠くから駆け付け、本当にすごいものでした。
 そして何よりも一番は体育館の中央に設置されたコートに自分も入り、試合直前の「丁松」の練習相手を務めたことです。「タカモ〜リ」とロッカールームで指名され、半端ない緊張のなか、大観衆の中にいき練習をしました・・・。
 しかし、試合前の丁松のマジなサーブが全く取れない。*丁松の下とナックルは本当にわからないうえに、同じ軌道で短いサーブ・長いサーブがあります。自分が今まで受けた中であれ以上のサーブはありません。カットまでもっていけば、ひたすら全力で打ち、丁松の調子を上げることができるのですが、そこまでいかない・・・ミスが何度も続いた瞬間丁松が・・・「タカモーリ!!!!!!!!」明らかにロッカールームで呼ばれた時とは違う声のテンションで指で目を指さし・・・言葉もちろんわかりませんが自分には「ボールが見えてんのか!!!」となぜかはっきり聞こえめちゃくちゃビビった覚えがあります。
 しかし、丁松が本気でやっていたからこその出来事で、そのような場面にいさせてもらえたことで、自分も日の丸をつけて、こういう舞台で戦ってみたいなと強く思ったきっかけでした。
 キュウケンシンさんは帰国した後も自分のことを気にかけてくれ、世界学生の後に青森に練習に来た時に、片言の日本語で自分に電話をくれ、「強くなった!」といってもらえました!

2013年10月2日(水)
世界を体験して2

 練習は午前と午後の2回。1回の練習が約2時間半。しかし休憩は0です。スタートしたらずっと練習です。最初は戸惑いましたが、集中力を切らすとすぐミスをしてしまいます。言葉は基本通じないので、ジャスチャーでアドバイスをいただきました。
 一つは一球一球のコースが甘いということでした。フォアに打つボールでも何となくフォアに打つのではなく、みんなサイドを狙っている。その一本にしっかりと意味を持ってやらないとダメだということ。
 フットワーク練習は試合で打つボールと同じボールを打つこと。強いボールをミスなく打ち、早めにオールの練習に切り替えるというものでした。言うだけあって、フットワーク練習の迫力はすさまじかったです。ブロックが苦手な自分にとっては地獄のような時間でした。ミスをしたら無言のプレッシャーがきます。シーズン中でもあった為、練習中から緊張感がただよっていました。
 具体的に技術を教わったりすることはあまりありませんでしたが、世界のトップの練習の一部を見る事ができたのは本当に自分の為になりました。また、感じたことはもちろん特別な練習もありますが、やっていることは自分が普段やっていることと変わらないが、取り組み方や意識の違い。目的をもって練習をしていることが分かりました。

2013年10月1日(火)
世界を体験して1

 自分は卓球を始めたころからいつかは、「日の丸をつけてプレーしたい」という考えを持っていましたが、真剣に世界を意識するようになったのは大学3年のころからでした。
 一番のきっかけはドイツに一人で約1カ月練習に行ったことでした。練習に行ったのはフリッケンハオゼンというドイツの1部リーグのチームでした。そこで自分のお世話をしてくれたのは少し日本語を喋れる「キュウケンシン」さんというもと中国代表の方でした。知っている方もおられると思いますが、今年の全日本選手権で丹羽選手のベンチに入っていた方です。
 他にも「丁松」という元中国代表のカットマン、「Dマゾノフ」、「トーベンボージック」知っている方もおられると思いますが、錚々たるメンバーでした。その中に交じって3週間練習をすることができました。

2013年9月30日(月)
練習環境7

 岡山に来て2年目は練習環境の状況が大きく変わりました!先輩である先生が玉野光南の卓球場を夜間開放してくれるよう自分の為にしてくださいました。その結果、規定の練習を終えた高校生が何人か自分が来るのを待ってくれて、夜9時過ぎまで平日は毎日練習することができました!自分はそのあと10時までサーブ練習をし、ジムに行って、家に帰るのは11時過ぎ・・・そんな生活を毎日送っていました。練習場所が確保されたことは本当に大きく、自分の選手生活の最終目標であった岡山国体に向けて、毎日落ち着いて練習に取り組めたことは本当に大きなことでした。
 練習をする為の場所と、教員をやりながらも現役を続けることができたのは、職場の理解があったおかげ、そして多くの方に支えてもらったおかげです。この経験から自分の部の選手には、周りの人に応援される部にしようということを毎日のように伝えています。自分達がいつも当たり前のように台について練習ができているのは、当たり前ではない。常にだれかに支えられ、応援してもらっているということを自分自身が忘れずに、生徒に伝えていきたいと考えています。

2013年9月29日(日)
練習環境6

 ジムへは通いましたがやはりボールを打たない限りは技術は向上しないし、維持することすら難しい状態でした。
 しかし、当時884先生の教え子である玉野光南高校三年生の選手が、一緒に夜練習をしてくれませんか?と自分に声をかけてくれました。練習場所は月・水・木は七区小学校。火と金は体育館(レクレセンター)にお金を払って練習をしたり、地域のふれあいセンターに行って、ここでもお金を払って練習を行いました。当たり前のように練習場所があった自分にとって、岡山に来た1年目は衝撃の連続でした。
 その選手は高校での練習を行ったあと自分の練習に付き合ってくれ、平日は誰よりも練習をしていたと思います。高校卒業後、全日本学生でダブルを優勝するなど、多くの成績を残してくれたことは本当にうれしかったです。また、家族の方にも食事に招待してもらったり、さまざまな支援をしていただきました。
 七区小学校での練習も、七区スポーツ少年団の監督さんには気持ちよく受け入れてもらい、自由に練習をさせてもらいました。監督さんには指導者となった今でも、多くの面でアドバイスをいただくなど本当に感謝をしています。
 練習できる環境があることは当たり前ではなく、本当に幸せなことだと感じました。また、強くなるには毎日練習をする環境が絶対に必要だということも改めて感じる事ができました。
 そのような1年目を過ごした自分でしたが、多くの人に助けられ・支えられその年の全日本選手権では、学生時代も1度も入ることのできなかったランキングに入ることができました。一番練習量の少ない全日本ランカーだったと思います(笑)。練習量はもちろん大切ですが、与えられた環境と時間の中でいかに練習をしていくかということが大切だと感じました。

2013年9月28日(土)
練習環境5

 ここまで、自分が学生時代に練習してきた環境の話をしてきました。恵まれた環境で練習をしてきた自分でしたが、社会人になりいっぺんに状況が変わりました。決められた練習場所がないという状況に初めておかれました。休日は玉野光南高校に練習にいかせてもらっていましたが、今まで、現役時代に2日続けて練習を休むことなど絶対にありませんでした。しかし、平日は練習場所がありません。平日の5日間をどう過ごすかということが、自分にとってとても重要でした。
 最初に考えたことはまずは、練習ができなくても体が動かす場所が必要だと考え、スポーツジムに入会しました。そのスポーツジムへはその後3年間毎日のように通い、ジムの方にトレーニングメニューを考えてもらい、ランニングや筋力トレーニングを行い、自分の筋力が衰える事だけは絶対にないように心がけました。

2013年9月27日(金)
練習環境4

 大学では完全に卓球部専用の体育館があり、常に卓球台が16台だったと思いますが、設置してある状態でした。完全に一つの体育館が卓球部のものでこんな環境はなかなかないと思います。
 しかし、問題は山積みで、夏場の日中は体育館の温度が上がり、とても練習ができる環境ではない為、朝7時〜11時までと午後5時〜9時までの2部練習を行っていました。
 雨が降れば倉庫が雨漏りをしたり、床が湿気でめちゃくちゃすべるため、晴れの日は各台に濡れぞうきんを準備しますが、湿気の多い日は乾いたぞうきんを準備し逆にシューズの底がぬれて滑らないようにしていました。また、日ごろは多くのボールを使用し練習を行っていましたが、雨の日は1球練習を多くし、丁寧にボールを拭きながら練習を行ったりもしました。
 練習場の環境に合わせて、さまざまな工夫をしてより集中して練習ができるように監督が的確な指示を送ってくれていました。この経験があったからこそ指導者になった今、練習場の状態に合わせて、さまざまな判断をできるようになったのだと思います。

2013年9月26日(木)
練習環境3

 高校では卓球部専用の体育館(授業でも使用する為台は毎回片付けますが)があり、警備員さんに声をかければ、朝も夜も昼休みも制限時間なく練習することができました。しかし、練習に対して意識の低かった自分は、その環境を有効に使うことができませんでした。
 さすが伝統校といえるのは、築何年かはわかりませんが、建ててから一度も床を張り替える事はなかったそうです。その理由は毎日練習前に、山水でモップを濡らして、全員で体育館をまんべんなく磨いていました。(一度それをさぼってしまい、先生にやったと嘘をつき簡単にバレて大変なことになりました・・・笑)また、掃除や台の管理なども全員(1年生中心ですが)で行い練習場を大切に使うことを学ぶことができました。*昨年度限りで体育館は取り壊されて、現在は新しい体育館で新たな伝統を築いていると思います。

2013年9月25日(水)
練習環境2

 以前にも書いたように中学生になり、結果がでなかった時期に自分は指導者が変わりました。その時期に練習場も前述した卓球場と、父親の会社のスポーツ施設の2か所になりました。その場所は後ろも広く、天井も高く、冷暖房も完備です。今思えば最高の環境で、練習ができていたと思います。小学校時代から体も大きく力もつきプレースタイルも変化する時期に広い場所でできるようになったことも、タイミングがベストだったのかと感じます。
 しかし、中学生の時期には自分がベストとは感じなかったのは、夏場には冷房は絶対につけない、冬場には暖房をガンガンにかけ、あえて真夏のような環境を作り出し練習をしていました。その頃は今のように水分補給の重要性も取り上げられず、休憩も基本ありません。じゃあどうするかというと、トイレに行くといって、手洗い場の水をがぶ飲みして、練習に戻っていました。自分の体力はこの時期に一番伸びたと思います(笑)
 小学校時代と中学校時代この二つ両方の環境があって、自分のプレースタイルが出来上がったのかと思います。そして何より、台がたくさんあったことと、いつ行っても使える事、ボールがたくさんあることというのは、練習量の確保という意味で最高の状態であったと思います。

2013年9月24日(火)
練習環境1

 自分が卓球を始めたのは小学校1年生で、路面電車の高架下にある小さな卓球場からのスタートでした。卓球台は4台設置してありますが、天井が低く、後ろもせまく、下がってのプレーはほとんどできません。
 しかし、自分にとってはプラスの面も多くあり、下がってプレーできない為に、前陣でのプレーを身につけ、現役時代の自分の武器の一つであるプッシュも、この卓球場で前陣でプレーをしていたからこそ身に着いたものです。最初から後ろに下がってプレーするのではなく、自分は小学校時代にこの卓球場で練習したことで台についてプレーすることを自然と身につける事ができたのはよかったと感じています。
 また何より、卓球場という場の雰囲気が体育館とは違い、卓球場に入る前、帰る前に卓球場に向かって一礼する、練習前や練習後に黙想をするなど、小学生のころはあまり考えずに行っていたことでしたが、今思えば環境に感謝をする気持ちを教えてもらえたのもこの時だったと思います。
 現在は自分の父親が3年前から、その卓球場を引きつぎ「森卓球場」として指導を行い、岡山の高校にも選手を送り出し、活躍してくれていることは本当にうれしく思います。

2013年9月23日(月)
ご無沙汰しています

 ご無沙汰しています。久々の登場です。いろいろな先生方の日記を見ながら、日々勉強をさせてもらいながらも、自分もそろそろ次を書かないと・・・というプレッシャーを感じ、頑張って書きます!今回は練習環境のことや、自分が短い期間ですが世界を体験して感じたことを書いていきたいと思います。前回同様にうまくお伝えする自信はありませんが、少しでも参考になることがあれば嬉しく思います!