2013年8月31日(土) |
寿司屋に伊藤繁雄 |
<昔話N>
全中の夜、保護者と寿司を食べに行った。
(もちろん回らない寿司)
店に入りカウンターに座って、ビックリ。
隣には伊藤繁雄さんが座っていた。
いろいろな話を聞くことができた。
話す姿にも元世界チャンピオンの風格が出ていた。
ペンの単板は良い檜がなくなって質が落ちている話になり、保護者が良い単板はないのかと尋ねたところ、
伊藤繁雄さんの返事は、
「わかりました。特注で作ったものを送ります。」
後日、本当に特注の単板が送られてきた。
さすが、元世界チャンピオン。
帰りの列車。
今度は寝台列車の個室をとっていた。
1人でのんびりと寝ることができた。
朝になりトイレに行ったら、
なんと、仲良くなったあの高校生に再び出会った。
またまた同じ寝台列車に乗っていたのだ。
帰りは、おばあちゃんと一緒だった。
今度はおばあちゃんが京都まで行くようだった。
おばあちゃんも自分のことは話に聞いていたらしく、
「まごが大変お世話になりました。
どうぞこちらに座って一緒に食べてください。」
と、宮崎のお土産をいっぱいごちそうしてくださった。
帰りの列車でも楽しい時間を過ごすことができた。
とても思い出に残る初全中だった。
〜昔話part1終了〜
|
|
2013年8月30日(金) |
エッジ |
<昔話M>
初めての全中。
個人戦のベンチには保護者に入ってもらった。
自分は観客席からの応援。
相手は北海道の有名中の2番手の選手(外シード)。
相手ベンチには、卓球ビデオで何度も見た顔。
結果は0-3の負けだったが、事件が起こった。
接戦の3ゲーム目、最後の最後、
勝負所で打った球がエッジでギリギリ入った。
ところが、審判がこれを見逃す。
相手選手も相手ベンチも知らんぷり。
選手が何度も抗議するが、聞いてくれず。
結局、そのポイントは相手側に入り・・・負けた。
試合後、相手監督の所へ握手に行ったとき、
言われたそうだ。
「あの球は、エッジで入っていたなあ」と。
相手選手も相手監督もエッジに気づいていたのだ。
戻ってきて、選手は泣いた。
この監督、
ニヤニヤしながら勝負にはえげつないヤツだ。
自分はこうはなりたくない。
全国の場では、1本に泣かされることがあるが、
そういう勝負をしていたら勝ち目はない。
余裕をもって勝てるレベルまでに引き上げておかなければならない。
そう思った。
|
|
2013年8月29日(木) |
初めての全中 |
<昔話L>
全中では、
シングル力の高さに驚いた。
団体戦で全中の予選リーグを抜けるためには、
シングルで全国大会出場レベルの選手が
2人は必要だと感じた。
3年目に全中を経験すると、
早く団体で全国大会に出たくなった。
その年、中国大会であと1勝で全中だったのだが、
世界を知ると・・・遠く感じた。
|
|
2013年8月28日(水) |
初めての寝台列車 |
<昔話K>
初めての全中は宮崎だった。
生徒は保護者と車で行くということで、
自分は寝台列車で行くことにした。
一度乗りたかったのだ。
岡山駅を夜の11時頃出発。
車内には、2段ベッドが向かい合って設置されてあり、
4人が寝られるようになっていた。
自分の寝床は右の上。
他は皆カーテンが閉まっていた。
床には、スニーカーと革靴とハイヒール。
どんな人達だろうとドキドキしながら眠りについた。
次の朝、
トイレに起きたら下の2人はもう下車していた。
残るは向かいのスニーカーの人。
どんな人だろうと思っていたら、
カーテンが開き、起きてきた。
高校生の男の子だった。
宮崎に着くまでいろいろと話をした。
めちゃくちゃ仲良くなった。
彼は、京都に住んでいて、
宮崎のおばあちゃんの家まで
1人で行っているところらしい。
とても楽しい時間を過ごすことができた。
寝台列車も良いものだ。
|
|
2013年8月27日(火) |
3年目、中国大会ベスト8 |
<昔話J>
昨年個人戦で中国大会に出場していたが、
団体戦での出場は初。
自分が中学生の時も出ていなかったので・・・。
様々な体験ができ、いろいろなことを学んだ。
・監督会議と組合せ抽選
・入場行進
・予選リーグ、
・決勝トーナメントの抽選
・全中決定戦(昔はベスト4がそのまま全中だった)
予選リーグは1勝1敗の2位で通過。
決勝トーナメントで1勝すれば全中だった。
こちらには、エースがいたので、
ダブルスを2番手と4番手で組み、
ラストに3番手をもって行き、
3点取りのオーダーで臨んだ。
ベスト4決定戦が全中決定戦となるため、
会場の雰囲気が一気に変わる。
緊張感があり、ワクワクする。
結果は、ダブルスが歯が立たず1−3で負け。
八本松のダブルスは思った以上に強かった。
全中に出場するにはこれくらいのダブルスが必要だということがわかった。
3年目、団体戦は中国大会ベスト8。
個人戦では、1人が全中行きを決めた。
|
|
2013年8月26日(月) |
個人戦は2人中国大会へ出場 |
<昔話I>
個人戦も2人中国大会への切符を手にした。
1人は、小学校の時からの経験者で、
前年も中国大会に出場していた。
もう1人は、中学校からラケットを握った選手。
粒やカットではなく、裏裏の純粋な攻撃。
なぜ中国大会に行けるほど伸びたかというと、
小学校からの経験者のお父さんが
中学生たちを呼び、毎週夜の練習をしてくれたから。
また、スポ少にも入り練習していた。
子ども達はいろいろな所で練習し、強くなっていった。
|
|
2013年8月25日(日) |
県総体2位 |
<昔話H>
3年目の夏、県総体決勝戦。
対戦相手は、灘崎中。
練習試合を一緒にしていたので、
お互いの戦力は全てわかっていた。
相手チームのオーダーの予想がついたので、
当たりを考えて、勝てるオーダーを組んだ。
オーダーは当たりだった!
オーダー交換の時、
自分のチームから「勝った」という声と笑顔が出た。
自分は表情には出さなかったが、
同じように心の中で「勝った」と思った。
・・・これがいけなかった。
自分が監督として未熟だった所。
結果は2−3の負け。
練習試合では一度も負けていなかった選手同士の対戦で負けてしまったのだ。
あの、オーダー交換の時に出てしまった心の油断がその勝負を決めてしまったのだ。
このことがあってから、
例え「勝てる」と思っても、
それを態度や言葉に出させないように、
絶対に油断をさせないように指導するようになった。
|
|
2013年8月24日(土) |
3年目、中国大会出場 |
<昔話G>
外シードに勝ち、順調にベスト8に入った。
そこからは4チームずつのリーグ戦になる。
同じリーグに絶対に勝てない庄中が入っていた。
何とかリーグ2位に入り決勝2次リーグへ行くことを考えていた。
ところが、その庄中が操南中に負けてしまった。
自分の中学校は操南中には3−1で勝っている。
次の試合、庄中に負けたとしても3つどもえになる。
これはチャンスだ。
すぐに勝率計算をした。
2点取ったら勝率でリーグ1位になることがわかった。
そのため、勝つオーダーではなく、
2点取ることのできるオーダーにした。
絶対に3点は取れないが、2点なら取る確率が高い...そんなオーダーにした。
オーダーは当たりで、
2点取ることができた。
目の前では団体戦の勝負をかけて、
2−2でラストの選手が試合をしていたが、
自分には、勝率でリーグ1位になり
中国大会に出場できることがわかっていた。
その時、
ベンチに近づいて声をかけてくれた先生がいた。
「まだ試合は終わってないけど、お前のことだから、(勝率)計算してわかっているだろう。中国大会出場おめでとう!」
・・・中学の恩師からだった。うれしかった。
団体戦には負けたけど、
リーグ1位となり決勝戦進出が決まった。
(中国大会開催年だったので、リーグ1位同士で決勝をした。)
同時に、中国大会出場も決定した。
|
|
2013年8月23日(金) |
県大会での初勝利 |
<昔話F>
3年目の夏が来た。
最初の年に生徒に伝えていたこと。
「先生が中学生の時、県ベスト8まで行けたから、3年後必ずそこまでは行ける」と。
市の大会は優勝し、県大会は外シードのパッキンに入ることになった。外シードの藤田中は岡山市の大会で優勝していて強い。
夜練で藤田のクラブに行っていたので、相手チームのことはよく知っていた。相手チームには2人強い選手がいた。他を取らなければならない。
ポイントはダブルスだ。
何としてもダブルスが勝たなければならない。
が、相手チームのダブルスはけっこう強かった。
勝つためにはダブルスを固める必要がある。
そのためにやったことは、
3番手と4番手が組むようにして練習しておいて、
藤田のクラブの練習では、藤田中の生徒の前で、
本番とは違うダブルスをずっと見せておいたのだ。
めちゃくちゃ鍛えているふりをして・・・。
本番、藤田中との対戦の時、
最初のオーダー交換で勝負がついた。
オーダーを見て相手の顔色が変わったのだ。
外シードの藤田中には予定通り勝つことができた。
|
|
2013年8月22日(木) |
初めての中国大会 |
<昔話E>
1年目の夏、市の予選の大会は優勝。
自分にとっては初の県大会だったが、
初任者宿泊研修と重なり自分は行けず。
結果は団体戦初戦敗退。
秋季大会は備西で敗退、県大会に出場できず。
2年目の県総体も団体戦1回戦負け。
秋季大会も備西で敗退、県大会に出場できず。
なかなか結果が出なかった。
ただ、2年目の夏の県総体の個人戦で
2年生の生徒がベスト8に入り、
初めて中国大会を経験することになった。
福山市開催の時だった。
中国大会では、
平田中のダブルスに目が釘付けだった。
どんなにラリーが続いても、必ず戻って、
次の球を十分な体勢で打っていた。
そのプレーから、
かなりの練習量だということが分かった。
この経験はその後の指導に
大変役立つものになった。
|
|
2013年8月21日(水) |
気持ちづくり |
<昔話D>
顧問になってからずっと大切にしていたことは
生徒を’やる気にさせる’こと。
まずは’卓球の楽しさ’を体験させ、卓球好きに。
次の段階では、勝負に’勝つ楽しさ’を体験させる。
そのために練習試合をたくさんやった。
1年目、周りの中学校にどんどん練習試合に行った。
勝てるようになると、次は県内の強豪チームの所へ、
更に勝てるようになると、県外の強豪チームの所へ。
毎週のように県外に練習試合に行った時もあった。
練習試合に行く度に、生徒の意識は高まっていった。
|
|
2013年8月20日(火) |
夜の練習 |
<昔話C>
次にやったことは、
夜、卓球ができるクラブに連れて行った。
自分の地元で、水曜と土曜に練習できた。
そこまで、往復で30km位。
放課後6時過ぎに連れて行って、
9時まで自分も一緒に練習し、
それからまた学校に連れて帰って、
自分は深夜まで仕事をした。
毎週続けた。
何ヶ月かたった頃に、保護者の方が
連れて行ってくださるようになった。
練習時間がとれる環境をつくっていった。
|
|
2013年8月19日(月) |
環境づくり |
<昔話B>
卓球部顧問になったとき、
体育館では、バレー部男女、バスケ部男女、剣道部、
そして卓球部が活動していた。
体育館を3交代で使っていたので、
平日使えるのは週に2日。朝練も週に2日。
土日は、1日の1/3しかできなかった。
そんな中、自分が最初にやったことは、
まず、仕事を一生懸命やった。
1年目は「はい」しか言わなかった。
仕事を一生懸命やっていると、
まわりの先生も認めてくれて、
自分の発言にも耳を貸してくれるようになった。
「空き教室に卓球台を置いても良いですか?」
教頭先生の返事は、「いいよ。」
毎日、卓球ができる環境ができた。
土日は1日中、朝練も毎日できるようになった。
それは、2年目か3年目の頃だった。
|
|
2013年8月18日(日) |
選手の時から |
<昔話A>
自分は中学生の時から
「将来、指導者になって全国大会に出たい」と思っていた。
だから、中学生の時から、
選手としてだけでなく、
自分が指導者になったらどうするか、
という視点も持って指導を受けていた。
この場面では、自分だったらこうするなあ・・・とか、
中学生や高校生のときから考えていた。
だから、
15年前指導者になった時点で、
指導のノウハウが頭の中にあったのだ。
また、幸せなことに、中学校〜高校時代で、
部活動の状態の一通りのことが経験できた。
中学のはじめは、
試合に出たら1回戦負けという状態。
途中からどんどん力をつけていき、
中学の終わりには県ベスト8という強い状態。
高校では、顧問の先生が
数年前まで日本ナショナルチームの選手。
超一流の世界の話や指導を体験できた。
インターハイの宿舎に、
当時の日本チャンピオンが来てくれて、
話をしてもらったこともあった。
強くなってから、更に上を目指す状態だった。
だから、
15年前指導者になったとき、
どんな状態であろうと指導できる自信があったのだ。
|
|
2013年8月17日(土) |
久しぶりの卓球 |
<昔話@>
15年前教員になり、卓球部顧問になった。
大学(院)時代の6年間は陸上部に入っていたので
久しぶりの卓球だったが、
卓球指導には自信があった。
何故かというと・・・ちゃんと理由がある。
|
|
2013年8月16日(金) |
ネタ |
卓球指導をやっていれば、
ネタはいっぱい出てくるのだが・・・。
ということで、
明日からは昔話を書くことにする。
|
|
2013年8月15日(木) |
試合のことを考えない夏 |
いつでも試合のことを考えていた。
休みの日も、くつろいでいるときも・・・。
今年は初めて、何も考えずに休日を過ごせた。
これが、普通なんだろう。
もうすぐ全中が始まる。
岡山県代表の選手には活躍して欲しい。
自分は、
全中には4回しか出られなかった。
(転勤したら、あと何回かは出場する予定だったのだが...。)
全中では、貴重な体験だけでなく、
賞状を3枚ももらうことができた。
全国選抜には5回出場し、賞状2枚と盾をもらった。
振り返ると、自分は幸せだったんだなあと思う。
けっこう充実していた教員生活15年。
しかし、
突然別世界に連れてこられて、先が見えなくなった。
これから、何を目標にしていくか。
ただいま、考え中。
|
|
|
2013年8月13日(火) |
松下村塾 |
ずっと行きたかった場所・・・、
念願がかなった。
吉田松陰には会えなかったが、
松下村塾はそこにあった。
こんな小さな塾から、
日本を変える偉人がたくさん出たのだ。
大事なのは目に見える環境ではなく、
目に見えない部分なんだ。
|
|
2013年8月12日(月) |
旅中 |
ただいま旅中!
息子が釣った!
おもちゃの釣り竿で...。
今日は、昨日の場所まで戻って更新しました。
|
|
2013年8月11日(日) |
夏色 |
最近、はまっているもの、
セブンイレブンのアイスコーヒー。
100円払って、氷入りのカップを購入し
セルフでコーヒーを入れるもの。
とてもおいしい。
そのアイスコーヒーを飲みながら、
ゆずの「夏色」をかけて、目的地に向かっている。
今の場所までは、何とか電波がつながるが、
これから先はどうやら無理そうだ...。
|
|
2013年8月10日(土) |
’マジシャン男’から連絡あり |
更に新しい仲間が加わる。
山の方から’マジシャン男’が登場。
来週月曜日から書いてくれる。
お楽しみに!
884は今日から旅に出る。
自然いっぱいの所に行くので、
WiMAXの電波が届いてない。
どうやって更新しようか...。
|
|
2013年8月9日(金) |
’元気はつらつ男’と’まこと先生’登場! |
どんどん仲間が増えている。
ありがたいことだ。
原稿をメールでいただければ、
どんどん掲載していく予定。
ただし、ニックネームは、
私が勝手につけているので覚悟が必要。
’元気はつらつ男’
そのまんま。試合会場で一番でかい声を出している人がいたら、この男に間違いない。
’まこと先生’
30分悩んでつけたニックネーム。
その心は...。
|
|
2013年8月8日(木) |
うれしい知らせ |
中国大会では岡山勢が大活躍。
女子シングルのベスト4は岡山が独占。
女子団体の決勝も岡山対決。
男子も頑張っていた。
見ていたのは岡山県中体連卓球部のHPの速報。
初めて見る立場になったのだが、速報のありがたみを感じた。
今回は、会場にいた’へら釣り名人(自称)’が結果をメールで送り、それを受け取った’W田先生’がHPへアップするという連係プレーだったそうだ。
素晴らしい!
「速報」を続けてくれて、本当に感謝。
−−−−−−−−−−−−
今日、応援メールが届いた。
はじめまして、先月の終わり位から、中学生を応援するというホームページを見つけて毎日拝見させていただいてます。私は現在40を少し過ぎた者です。中学生の頃にまつ先生?にもしかしたら御指導して頂いたことがあるかもしれません。全中も連れて行って頂きましたが、もっと頑張っていたらなあと後悔してるのが、今の気持ちです。今頑張っている中学生の方にも後悔の残らない卓球人生を歩んで頂きたいと思います。突然申し訳ありませんでした。これからも楽しみに拝見させて頂きます。
ありがとうございます。
私はまつ先生の中学の隣の中学で頑張っていました。
このページをきっかけに、中学生に関わっている周りの大人が元気になればと思っています。
これからもよろしくお願いします。
884
|
|
2013年8月7日(水) |
期待を裏切らない男 |
原稿が届いた。
ついに登場!
’裏面ドライブ男’
さすが
期待を裏切らない男だ!!
|
|
2013年8月6日(火) |
ついに動きが・・・ |
メールが来た。
’裏面ドライブ男’からだ。
待ちこがれていた。
メールの中身はというと、
「明後日までには必ず送る」
という内容。
明後日というのは、
今日から数えて明後日だろうか?
明日から数えて明後日だろうか?
それとも、
10日後から数えて明後日だろうか?
そう言えば、以前も、
10までの数を数え間違えていた男だ。
不安である。
待つしかない。
みなさん、お楽しみに!!
|
|
2013年8月5日(月) |
道具 |
高校のとき、
「卓球選手にとって、ラケットは命の次に大切なもの」
と教わった。
修学旅行にも、ラケットを持って行った覚えがある。
イチロー選手が道具を大切に扱うのは有名な話。
凡退してバットを地面に叩きつけることは絶対しない。
そんなイチローが、一度だけバットをグラウンドに
叩きつけたことがある。三振をしたときのことだ。
我に返ったイチローは、バットをつくってくれている
久保田さんの顔が真っ先に浮かんだという。
そして、
すぐに久保田さんに謝罪の手紙を書いたそうだ。
マリナーズのキャンプでの打撃練習のとき、
他の選手がバットを芝生の上に放り投げているなか、
イチローだけがバットをグラブでそっと包み、
まるで眠った赤ん坊をベッドに横たえるように
置いていたという。
・・・道具を大事にできる人になって欲しい。
|
|
2013年8月4日(日) |
だます |
気持ち次第でプレーは変わる。
相手は、格上の選手。
「相手は強いから勝てないと思うけど、
全力でいけよ。」
よく対戦相手のチームの顧問の先生が、
選手にかけていた言葉。
これでは絶対勝てない。
先生が’勝てない’と言っているから・・。
私は、どんな相手とするときも、
「力がついたから勝ってもおかしくはないぞ。
全力でいけよ。」
のように絶対に’勝てる’という言葉を入れていた。
その言葉に、選手はだまされる。
練習も一緒。
1000本ラリーをするとき、
「この練習は難しいぞ。」
と言ってしまえば、’難しく’なるし、
「1000本なんてすぐにできるよ。」
と言ってしまえば、’簡単’になる。
気持ち次第でプレーは変わる。
監督は、選手の気持ちを高めるために、
うまく’だましてやる’ことが必要。
|
|
2013年8月3日(土) |
優勝する人 |
「二等を追う者は、一等を得ず」
大学時代、陸上部で作ったTシャツに
プリントされていた言葉。
1位になる人は、1位しか狙っていない。
「最高で金、最低でも金」
五輪前に谷亮子はそう宣言し、
金メダルを取った。
2位でもいいかと思っている人が、
1位になることは、・・・まず無い。
勝負とは、そんなもの。
|
|
2013年8月2日(金) |
卓球 |
「卓球は、その人の’人間’が表れる」
高校時代、顧問の先生からよく言われた言葉。
卓球の練習以外の
学校生活や家での生活、
そして、その他全ての事が
試合の時、自分のプレーとなって表れる。
自分のプレーを振り返ってみて
どうだろうか?
当てはまっているだろう。
特に、卓球は球が小さいから、
他の競技よりも、より表れるそうだ。
卓球が強くなるには、卓球の練習だけでなく、
人間を磨く必要がある。
部活動の指導では、ここに重きを置く。
|
|
2013年8月1日(木) |
これから |
復活して1ヶ月、
昔のものを再掲載しながら、
何とか続いた。
これからは、
仲間を増やすことを考える。
多くの人の、
多くの考えをここに掲載したい。
見てくださった方が
何かヒントをつかめるような
そんなページにしたいと思っている。
新たな仲間を募集中!!
|
|