2011年11月30日(水) |
うれしかったこと |
先週、電話がかかってきた。
「先生、就職決まったよ。」
前の学校で、最後に担任した卓球部の子。
教師の幸せは、’子ども達の成長’。
そんな知らせを聞くと、とてもうれしい。
12月の教育時報に卓球部の生徒が2人登場。
以前自分も執筆し、載ったことがあるが、
それ以上にうれしい出来事。
<教育時報 平成23年12月号 P19 P31>
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2011年11月29日(火) |
試験休み |
今日から試験週間。
1週間練習できない。
高校時代、
「1日休むと、取り戻すのに3日かかる」
と言われた。
休むことに対して、’マイナス’イメージだった。
大学時代の陸上。
陸上では、’休むこと’も大切な練習。
休まないと強くなれない。
休むことに対して、’プラス’イメージ。
この1週間の試験休みを、
いかに意味のある’プラス’のものにするか。
技術的なことでは’マイナス’になるかもしれないが、
’心’の面で、’プラス’になるようにしていけばよい。
考え方次第だ。
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2011年11月28日(月) |
朝練 |
今、重点を置いているのは、’回転のないラリー’。
集中した状態で効果のある練習をさせたい。
また、朝練は40分しかない。
そこで、最近の朝練は試合形式で行っている。
全て前進回転のロングサーブから。
上の順位の者から、1台に3人ずつ入ってリーグ戦。
全て3ゲーム(3−0,2−1、1−2、0−3)で行う。
最初に全員でリーグ戦をしていて、
勝ちゲーム数の合計で順位をつけていた。
それに朝練での勝ちゲーム数を足して、
順位の入れ替えを毎日やっていく。
そして、生徒には、
「試合のメンバーを決めるときの参考にする。」
と宣言している。
こうすると、
・目標がはっきりする
・どのゲームも気が抜けない
・朝練を休むとポイントが増えないので、来る。
もし朝練を遅れてきたら・・・。
今日も1人いたが、
「走ってこい」と言われる。
何周走るかは言われない。
・・・ずっと走る。
後で聞くと、
「39周走りました。」
・・・多分、もう遅刻しないだろう。
こんな感じで朝練をやっている。
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2011年11月27日(日) |
冬の練習時間 |
最終下校が早くなった。
部活動の練習は、17:00まで。
帰りの会の終わりが16:05だから、1時間もない。
どの学校も冬の練習時間はこんなもの。
その中で、どうやって力をつけていくか。
いつも頭の中で考えている。
強くなるチームは、冬を越すとぐっと伸びる。
冬の過ごし方で、大きく変わる。
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2011年11月26日(土) |
今やっている練習 |
・・・昔話もそろそろ飽きた。
強かった頃の自分の中学校の印象を、
他県の先生に聞いたことがある。
「3球目を、絶対ミスしなかった。」
そう言われた。
当時、そう言われるような練習をずっとしていた。
自分が高校時代、顧問の先生から
そのように指導されていたから。
相手がツッツキをした球に対して、
絶対ドライブが入るように繰り返し練習した。
今も変わらず意識して練習しているが、
ツッツキをドライブする練習ばかりしていると、
前進回転の球に対しても
ラケットが下から出てしまうようになる。
何とか修正しようと、今の練習では、
全て前進回転のロングサーブから。
校内のリーグ戦も前進回転のロングサーブのみ。
繰り返しずっとやっていると、
’自然に’ラケットが高い位置から出るようになる。
また、戻りも速くなる。
今、10日間ほど毎日続けているが、
今日の練習試合にその効果が表れていた。
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2011年11月25日(金) |
全中ベスト8 |
中国大会本番。
予定通り長船との決勝戦。
予定通りのオーダー。
予定通り勝利し、優勝することができた。
毎年、全中の直前のお盆は、
全中に出るチームと練習試合をした。
その年も、冬からずっと練習試合をしてきて、
初の全中行きを決めた四国のチームが来てくれた。
お互いを高め合った。
組合せを見て、びっくり。
同じリーグだった。
結局、その学校に勝利し決勝トーナメントに進んだ。
決勝トーナメントでは、1回勝ち、
次の明徳義塾戦で負け、ベスト8。
公立の中ではトップだった。
うれしかった。
もっとうれしかったことがある。
戦っているときは必死で気づかなかったこと。
予選リーグで対戦した四国のチームが、
決勝トーナメントの試合をずっと応援してくれていた。
・・・後で、保護者の方が教えてくれた。
「冬から練習試合に行かせてもらって、
レベルアップさせてもらって、全中に出場できました。
感謝の気持ちを込めて応援しました。」
・・・こちらも感謝。
いろいろな方の応援や支えがあって、
’全国ベスト8’に入ることができた。
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2011年11月24日(木) |
オーダー |
3年目の夏、勝負の時。
メンバー的にも今までで一番。
全中で勝ち上がるためには、シードが必要。
前年、中国ブロックで、全中の予選リーグを
抜けたのは、1校だけだった。
中国ブロックの全中シードは1つ。
中国大会で優勝しないと、全中では勝ち上がれない。
まず、目の前の目標は’中国大会優勝’。
夏の県総体の決勝。
頭の中には、中国大会の決勝のことがあった。
決勝の相手’長船’は強い。
こちらは、エースとダブルスで2本は取れるが、
2番手以降の勝負では負けることが多い。
確実に勝つためには、
2番手、3番手の選手が力を出さないとダメ。
前半に出し、思い切ってプレーさせよう。
そして、相手にプレッシャーを与えるために、
エースはラストに出そう。
前半で1本とれば、こちらの勝ちだ。
このオーダーが、一番勝つ確率が高い。
’長船’は、中国大会でも決勝まで上がってくる。
今、そのオーダーを見せたら、その時困る。
中国大会決勝までとっておこう。
県総体の決勝は、強い順に並べて戦った。
結果は、2−3で負け。
決勝の後、選手に伝えた。
「多分、中国大会決勝でも当たる。
その時は勝つオーダーでいく。」
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2011年11月23日(水) |
新しい学校2年目 |
何してたんだろうと、その頃のノートを開く。
山陽女子に練習試合に行った。
「27勝78敗」
山陽女子は1敗につきグランド15周。
自分の学校がそれをやっていたら、
25敗していた生徒がいるので・・・75km!
山陽女子の生徒は、
脱いだ服を壁際にきちんとたたんで並べてあった。
いろいろな場面で、全国1位の学校との差を感じた。
明徳義塾に練習試合に行った。
「19勝47敗」
練習を一緒にさせてもらって感じたことは、
’質が高い’ということ。
1本1本の重みが違う。
ただ、練習の内容はほとんど変わらなかった。
2年目の県秋季大会は2位。
選抜予選では1位。
この学校で2度目の全国選抜大会に出場し、
予選リーグを抜け全国ベスト16に入った。
このときの選抜予選。朝、電話があった。
「38度の熱があるんですが、
『熱があっても行く。俺がいないと勝てない。』
と言っているので、連れて行きます。」
この生徒が、決勝でも1本取って全国行きを決めた。
この生徒、普段から、
『勉強はいつでもできる。卓球は今しかできない。』と、
卓球に打ち込んでいた。
すごい奴だった。
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2011年11月22日(火) |
青森山田との対戦 |
初めての団体戦での全中。
予選リーグで2勝し、
予選リーグを抜けることができた。
中国ブロックの他のチームは負けていた。
力だけでなく、組合せの運も必要だと感じた。
優秀13校の表彰を受け、その後抽選。
決勝トーナメント1回戦の相手が決まった。
「青森山田」
幸運なことにトップの学校との対戦。
なかなか、体験できない。
相手ベンチには、吉田監督。
うちのエースが1本取ったものだから、
途中からとても険しい顔になっていた。
4番松平健太との試合も、勝負になっていた。
普通なら、松平のしゃがみ込みサーブに
レシーブミス連発になるのだが、
うちの2番手はほとんど返してラリーをしていた。
青森山田の子も同じ中学生なんだと感じた。
・・・一方、今の生活で、
ここに勝つのは’無理’だと感じた。
1−3で負けたが、幸せな体験だった。
青森山田は、その後全て3−0で優勝した。
唯一1本落としたのだ。
全国13位。上が見えてきた。
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2011年11月21日(月) |
予選リーグを突破するには |
春の全国選抜では、
第1シード明豊と同じリーグの3番目だった。
それまでの実績がなかったから仕方がない。
ただ、全国大会で予選リーグを抜けるには、
その場所ではきつい。
私立がいないリーグに入るためには、
自分の中学校がシードされる必要がある。
全中のシードは、
前年度に予選リーグを突破した13校が
属するブロックに割り当てられる。
前年度、中国ブロックからは3校予選を抜けたため、
中国大会3位でぎりぎりシードされることになった。
これは大きかった。
勝ち上がるためには、こういう運も必要だ。
予選リーグを突破するチャンスだった。
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2011年11月20日(日) |
全中行き決定 |
2年目の夏、県総体で優勝。
中国大会に出場。
個人戦でも2人出場した。
2人とも県ベスト16(岡山開催)。
この2人とダブルスで勝つパターンが多かった。
予選リーグ、
鳥取の学校と島根の学校に勝ち1位抜け。
決勝トーナメントはくじで決まる。
予選でやった島根の学校と
3位決定戦で再び戦うことになった。
自分は「やばい」と思った。
力の差はほとんどない。
向こうは、1回負けているので思い切ってくるだろう。
しかも、島根県は大応援団。
他の島根の学校も応援している。
前半1−1でダブルスへ。
プレッシャーの中、ダブルスが負けてしまった。
もうこれで、勝ち目はない。
相手のエースが4番。・・・ラストはこちらが勝つが。
このチームとは練習試合を何度もやっていた。
4番に出る生徒が、相手のエースに勝ったことは
・・・1度もない。
もう負けたと思った。
こちらの4番目に出る生徒はキャプテンでカットマン。
中学校から始めて、頑張ってきた子。
人間はしっかりしていたが・・・。
終わってみると、相手のエースに初勝利。
そのキャプテンが、全中行きを決めた。
自分の頭の中にはあり得ない展開だった。
そのキャプテンは、朝日高から京都大へ進学した。
休みが全くない卓球部の生活の中、
勉強もおろそかにしていなかった。
あの勝利は、彼の’人間性’が呼び起こしたもの。
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2011年11月19日(土) |
行動の重み |
お菓子事件から、
練習は一切せず、毎日走らせた。
全国大会に出場する選手は、
全国レベルの’行動’が必要。
テニスコートの周りを50周。
1周200m位あるので、200m×50=10km
中学生にとっては無茶な距離。
無茶でもやらせる。
・・・その経験がプラスになると思うから。
軽い気持ちで食べたお菓子。
私には、50周分以上の重みがあった。
それを伝えた。
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2011年11月18日(金) |
2位トーナメント優勝 |
新しい学校で初めての全国選抜大会。
組合せは、第1シードの明豊のリーグ。
全国でトップのチームと対戦することができた。
予選リーグ2位で、2位トーナメントへ。
予選リーグで2位になった16チームで戦う。
結果は、全部勝って優勝した。
初の全国大会で、6試合して5勝1敗。
負けたのは、明豊戦だけだった。
この結果は、大きな自信になった。
しかし・・・、
三重からの帰りのバスの中で
お菓子を食べた生徒がいた。
当分の間、部活動を停止した。
毎日走らせた。
強くなったら、今まで以上に
自分の行動に責任を持って欲しかった。
みんなの見本になるのだから・・・。
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2011年11月17日(木) |
スポ少との連携 |
毎日練習ができ、土日は一日中できた。
また、地区にスポ少があり、
週に3日〜4日は夜10時まで練習できた。
スポ少がない日に、遠くのクラブまで行く生徒もいた。
とにかく、練習できる環境になった。
また、スポ少の監督がいい人で、
結果が残せたのも監督のおかげ。
強くなって欲しいという思いはあったが、
お互いに’自分が育てる’というこだわりがない。
お互いを頼り合って、練習していった。
全中での試合中のアドバイスで、こんな事があった。
私の所に来た生徒に、
「監督のアドバイスを聞いて頑張れ。」
次に、監督の所に行ったら、
「先生に言われたことに気をつけていけ。」
お互い信頼していたために起こったこと。
その生徒は、そのまま次のゲームに向かったそうだ。
・・・そのことを、後から聞いた。
すぐに結果が出た。
秋季県大会ではベスト8。
そして、全国選抜予選では優勝し、
1年目で、全国大会に出場できた。
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2011年11月16日(水) |
全国で勝つ |
新しい学校での目標は、
「全国で勝つ」
「毎年強いチームにする」
「周りも強くする」
転勤した4月、
前任校と試合で対戦し、負けた。
1ヶ月後、練習試合で対戦したら5−0で勝ち。
1ヶ月でこんなにも変わるのかと、
うれしかったが、反面悲しかった。
自分がいた6年間は何だったんだろう?
何を育ててきたんだろう?
中学校の部活は顧問次第で変わってくるが、
ここまでも変わるのか?
・・・6年間の指導を反省した。
新しい学校の1年目、予選で負けて、
夏の県総体には出場できなかった。
顧問になって、初めてのことだった。
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2011年11月15日(火) |
感じたこと |
教師になろうとしたきっかけは、
「部活動をもち、全国大会に出たい。」
と思ったこと。
幸運なことに、それは達成した。
一度全国を経験すると、
「また出たい」「あの場で勝ちたい」
と思うようになってくる。
しかし、6年間で限界を感じた。
普通の学校の練習だけでは難しい。
全国大会で勝ち上がるには、
小学校からの経験が必要。
また、1人でやるには厳しい。
何とか、他のクラブやスポ少の指導者と
協力してできないか。
・・・そう考えるようになった。
一方、いつも頭の片隅で考えていたこと。
「何のために部活をしているのだろう・・・?」
「全国大会に行って本当に幸せなのか・・・?」
「本当にこんな生活を続けて良いのか・・・?」
ずっと考えていた。
・・・毎日が葛藤だった。
・・・とにかくやれるところまでやってみよう。
全国大会で勝ち上がってみよう。
上まで行くと、分かることがあるかもしれない。
そう思って、次の学校へと転勤した。
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2011年11月14日(月) |
バック系技術 |
初めて出場した全国選抜。
予選リーグ2敗、3位トーナメント初戦敗退。
シングル力の差を感じた。
一番感じたことは、’バック系技術の差’。
それまで、「バックは振るな」と指導していた。
バックで止めて、フォアで攻めれば良しとしていた。
全国を経験して、考えが変わった。
ラリーになると、バックでガンガン振ってくる。
こちらはフォアでしか攻められないので、
ほとんどバックで先手を取られて不利になっていた。
バックの攻めが必要だと感じた。
5年目そのメンバーで、県総体優勝。
団体で2度目の中国大会に出場した。
6年目、県総体1回戦負け。
・・・転勤になった。
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2011年11月13日(日) |
先生がいなくても |
4年目の県総体は初戦敗退。
昨年中国大会ベスト8が、一気に弱くなった。
「強い子がいたから強かったんだ。」
そう言われたくなかったので、
何とか次のメンバーで結果を出したかった。
毎日練習し、毎週練習試合に行った。
その成果がすぐに出た。
その年の秋の県大会で優勝。
初の団体県大会優勝。
おまけに、全国選抜の予選も兼ねていたので、
初の団体戦での全国大会出場。
しかも、全員中学校からスタートのメンバーで。
自分にとって大きな自信になった。
4年目で、選抜だけど団体で全国出場が果たせた。
この結果を出せたのも、彼らの’人間性’のおかげ。
4年目となると、学校での自分の仕事が増える。
生徒会を持っていたので、
行事の度に練習に出られない。
しかし、
顧問がいなくても、手を抜くことなく、
集中して練習に取り組んでいた。
そんな生徒達だから、
苦しい試合のときでも、必ず最後には勝ってくれた。
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2011年11月12日(土) |
トップのプレーを知る |
トップのプレーを見て知ることは大切。
自分が運が良かったのは、
高校時代、2年の時と3年の時、
インターハイで高校トップのプレーが見えたこと。
顧問になっても、
小学校からやっていた生徒がいて、
2年目に中国大会を経験できたこと、
3年目に全中を経験できたことは大きい。
(その子は、後にダブルスで学生日本一になる。)
目標としている世界を知っておかないと、
努力する方向が定まらない。
中国大会では、
平田中のダブルスに目が釘付けだった。
どんなにラリーが続いても、必ず戻って、
次の球を十分な体勢で打っていた。
かなりの練習量だということが
プレーから分かった。
全中では、
シングル力の高さに驚いた。
全中の予選リーグを抜けるためには、
シングルで全国大会出場レベルの選手が
2人は必要だと感じた。
3年目に全中を経験すると、
早く団体で全国大会に出たくなった。
その年、中国大会であと1勝で全中だったのだが、
世界を知ると・・・遠く感じた。
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2011年11月11日(金) |
気持ちづくり |
顧問になってからずっと大切にしていることは
生徒を’やる気にさせる’こと。
まずは’卓球の楽しさ’を体験させ、卓球好きに。
次の段階では、勝負に’勝つ楽しさ’を体験させる。
そのために練習試合をたくさんやった。
1年目、周りの中学校にどんどん練習試合に行った。
勝てるようになると、次は県内の強豪チームの所へ、
更に勝てるようになると、県外の強豪チームの所へ。
毎週のように県外に練習試合に行った時もあった。
練習試合に行く度に、生徒の意識は高まっていった。
どんどん強くなり、結果も出た。
1年目・2年目は県総体団体1回戦負け。
3年目は県総体団体2位になり、中国大会に出場。
中国大会では団体ベスト8になった。
結果が出ると、更に意識は高まっていく。
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2011年11月10日(木) |
環境づくり |
13年前卓球部顧問になった。
体育館では、バレー部男女、バスケ部男女、剣道部、
そして卓球部。3交代で使っていた。
平日使えるのは週に2日。朝練も週に2日。
土日は、1日の1/3しかできなかった。
そんな中、自分が最初にやったことは、
まず、仕事を一生懸命やった。
1年目は「はい」しか言わなかった。
仕事を一生懸命やっていると、
まわりの先生も認めてくれて、
自分の発言にも耳を貸してくれるようになった。
「空き教室に卓球台を置いても良いですか?」
教頭先生の返事は、「いいよ。」
毎日、卓球ができる環境ができた。
土日は1日中、朝練も毎日できるようになった。
次にやったことは、
夜、卓球ができるクラブに連れて行った。
自分の地元で、水曜と土曜に練習できた。
そこまで、往復で30km位。
放課後6時過ぎに連れて行って、
9時まで自分も一緒に練習し、
それからまた学校に連れて帰って、
自分は深夜まで仕事をした。
毎週続けた。
何ヶ月かたった頃に、保護者の方が
連れて行ってくださるようになった。
練習時間がとれる環境をつくっていった。
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2011年11月9日(水) |
謙虚さ |
先日、松下浩二さんと飲む機会があった。
日本初のプロ卓球選手で現TSP社長。
とても謙虚な方だ。
「僕なんかよりも渋谷の方が才能がありましたよ。」
と言いながら、どんな質問にも真摯に答えてくれた。
他の人から聞いた話だが、
松下さんは、世界選手権などの団体戦の時、
ベンチにいる若い選手からもアドバイスをもらい、
真剣に聞き、自分のプレーに活かしていたそうだ。
賢人は誰からも学ぶことができる。
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2011年11月8日(火) |
伸びる人 |
「先輩〜。飯食いに行きましょう。」
一緒に食べに行き、終わりかけた頃に、
「100円しか入ってないっす。」
と財布を開いて見せる。
大学時代のこと。
今では、秋になると、
「先輩〜。梨買ってください」
と毎年電話がかかってくる。
「先輩のことだから、10箱位買ってくれるでしょう?」
「わかった、山ごと買ってやるわ。」・・・
大学時代の陸上部の後輩。
とてもおもしろく、憎めない奴。
高校時代、国体3位。
大学卒業後、NTTに入り陸上を続け、
1月1日のニューイヤー駅伝で活躍したり、
国際大会のマラソンに日本代表として
出場したりとすごい奴。
今は現役を退き、親の梨農園を継いでいる。
彼を見ていて、人間性って本当に大事だと思った。
強い奴だから飯をおごるのではなく、いい奴だから。
強い奴だから応援をするのではなく、いい奴だから。
伸びていく人は、まわりが応援したくなるような
’人間性’を持っている。
中学時代にしっかり’人間’を磨いて、
まわりから応援されるような人になって欲しい。
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2011年11月7日(月) |
「見抜く力」 |
「なぜできなかったかではなく、
なぜできたかを考える」
「言葉は競技も上達させる」
「ワンポイントで伝えよ」
「指導者は謙虚な心をもて」
「心の弱さは体で鍛えよ」
「見極めるのは「才能」ではなく「人間性」」
・・・読めば読むほど、深い。
是非、読んでいただきたい。
「見抜く力」平井伯昌(幻冬舎新書)
岡山県秋季大会、多くの方にお世話になりました。
駐車場でバスを誘導してくださっていた方。
審判をしてくださった方。
進行や記録をしてくださった方。
会場の準備、片付けを手伝ってくださった方。
役員の弁当や飲み物を準備してくださった方。
観客席に落ちていたゴミを拾ってくださった方。
トイレのスリッパを並べてくださった方。
最後にゴミを持って帰ってくださった方。
元気はつらつのプレーで会場を沸かせてくれた選手。
・・・多くの方に感謝します。
『オリンピックで世界の頂点に立つことだけが、最終 目標では決してない。・・・水泳を通じてみんなのお手本になる、社会の中でみなさんの役に立っていける人間になってもらいたい。水泳を通じて人間を磨いてもらいたいと思っているのだ。(「見抜く力」より)』
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2011年11月6日(日) |
本から学ぶ |
本棚から1冊の本を手にした。
久しぶりに、
平井伯昌の「見抜く力」を読んだ。
平井さんは、北島康介を金メダルに導いたコーチ。
この本には、そのノウハウがぎっしり詰まっている。
有名な言葉は、
世界新の金メダルを取った北京オリンピックの
決勝レース前に、北島にかけた言葉。
「勇気をもって、ゆっくり行け」
自分がなるほどと思ったことは、
「成功をパターン化するな」
これは織田信長の戦術から学んだそうだ。
この本に詰まっている平井さんの考えは、
とても参考になる。
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2011年11月5日(土) |
県大会団体戦 |
朝一番にノートに書いたこと。
今日のポイント
☆ ゆっくり伝える
☆ 試合で成長する
☆ キーワードで伝える
アドバイスを聞く生徒の気持ちになって考えた。
早口で言われるのと、ゆっくりと言われるのと、
どっちが頭の中にはいるだろうか。
ゆっくりと言うためには、
言葉を選んで、’短い言葉’になっているはずだ。
また、話の中に印象に残る’キーワード’があれば、
プレー中、意識しやすいのではないか。
強くなる選手は、試合毎に成長する。
この3つを意識してベンチに入ると、
とても落ち着いてアドバイスすることができた。
これからも心がけたい。
・・・試合は負けた。まだまだ、力不足。
ただ、良かったことは、
自分の頭の中に、勝つイメージがわいたこと。
後は、そのイメージ通りになるように
練習すればよいだけ。
負けたけど、今日は気持ちよく飲んでいる。
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2011年11月4日(金) |
明日県大会 |
教員4年目で初めて県優勝したとき、
自分は優勝すると思っていた。
そのつもりで、前の晩、
決勝戦までのオーダーを全て考えていた。
試合が近くなると、
廊下を歩いているときも、
通勤の車の中でも、布団に入っても
オーダーのことで頭はいっぱい。
さて、明日はどんな勝負になるか本当に楽しみだ。
・・・卓球ノートに書いた自分のこと
「アルコールは週に1回」
めちゃくちゃ我慢している。
先週日曜日に友人の結婚式で飲んだので、
明日の県大会のために、ほぼ2週間飲んでいない。
県大会よりもそっちの方が楽しみだったりする。
明日はおいしいお酒が飲めるといいのだが・・・。
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2011年11月3日(木) |
練習中かけた言葉 |
県大会直前の練習。
今日の練習で、自分はこんなことを言っていた。
「今の練習、
県大会本番と同じ気持ちでやっているか?」
ダブルスの練習で、
「ボールを見るんじゃなく、
自分の前に打つ相手の動きをみろ。」
「1度効いたサーブは、変えずにずっと出し続けろ。」
カット打ちをしている男子に、
「お前のミスが相手の点になっているんだぞ。
死ぬ気で入れろ。」
3球目・5球目の練習をしている女子に、
「今やってること、本番でどれくらい使うの?
ほとんど使わないんじゃないの?」
「みんながやってないことをやれ。」
生徒だけのミーティングの途中に、
「試合会場に行って最初にする事は?
体育館に入って、荷物を置いて、練習して、
開会式、試合開始、試合の合間、
それぞれ何に気をつけるの?
全員がそのことを分かっているの?
・・・そういうことを話し合っておけ。」
ミーティングが終わった後に、
「今話し合ったことを、全員ノートに書いておけ。
本番でそういうことができるのが大事なことだ。」
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2011年11月2日(水) |
試合前の練習 |
試合前にやる練習は、
・ダブルスの練習
・試合で1番使う技術の練習
・試合形式の練習
など
団体戦で1番大切なのはダブルス。
試合前には、ダブルスに特に力を入れる。
ダブルスに出る選手は、
ずっとダブルスの練習をする。
試合で1番使う技術で点が取れると有利である。
1人1人別々の練習となる。
何をやるかは、こちらが指示を出すことが多い。
「ダブルスの練習」も「多く使う技術の練習」も
できるだけ実戦に近い形でやった方が効果的。
試合形式の練習の中で、
練習してきたことが試合で出せるようにしていく。
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2011年11月1日(火) |
県大会に向けて |
新チームになり約2ヶ月。
・サーブ ・続けること
・レシーブ ・ツッツキ
・ブロック ・スマッシュ
・ドライブ
等を中心に練習してきた。
県大会では、
その成果を出し勝って欲しい。
練習してきたことが試合でできるよう、
次の5つのことを心がけるよう伝えた。
@ツッツキを切る
Aドライブを必ず入れる
Bスマッシュでは打つ前の体勢をつくる
Cブロックでチャンスをつくる
D相手の目を見て心を読む
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