Back

2013年8月16日(金)
「岡山県中体連の先生」

 名前を挙げればきりがありませんが、岡山県中体連の先生方は本当にすばらしいです!一番に思うことは、岡山県中体連の先生は自分の為に動いていない。全体を考え本当に平等に組み合わせをしたり、会場準備や進行をしたりと、一人一人が中体連に関わる人のために動いています。組み合わせを作るのに夜中1時過ぎまでやったこともあります。駐車場係で朝から汗だくになったこともあります。でもこういうことを苦もなくできるのは、中体連の先生方と一緒に大会を成功させたいと思えるからです。自分勝手な方がいればそうは思わないと思います。
 自分は今年度から副理事という立場になり、過去に理事長を務められた先生方の責任と苦労が少しわかってきました。まだまだ一部だと思いますが、今はへら釣り名人先生を少しでもサポートできるようがんばりたいと思っています!
 *884先生やへら釣り名人先生には教員になってすぐから、飲みに誘っていただき、多くのことを勉強させてもらいました。また、強い選手を育てろ!がんばれ!というプレッシャーを言葉だけでなく、行動で示してもらいました。今はまだまだですが、ちょっとでも追いつけるようがんばりたいと思います!884先生からは卓球のプレッシャーではなく原稿のプレッシャーもかなりいただきました(笑)原稿を書いたので今度は自分から一つお願い事をします!またお願いします!(笑)

2013年8月15日(木)
「後輩」

 自分には自慢のできる後輩がいます。大学時代の2つ下の後輩で、一生懸命練習するけどなかなか結果が出ませんでした。自分とは私生活も仲が良く一緒にのみに行ったり、遊びに行ったりしていました。また練習前に一緒にランニングに行ったりもしていました。以前にも書きましたが自分は大学時代結果がでて天狗になっている時期がありました。その時期は自分から練習相手への要求も高く、ミスをして練習にならなければ態度に出していたりと、後輩は必死な思いで相手をしてくれていました。でも一切文句も言わず。いつも練習につきあってくれて、自分がオリンピックの選考会に出たときは、自分一人じゃ大変だろうからと、後から来てくれて自分の身の回りのことを全てやってくれました。そんな後輩が大学時代の入れ替え戦で勝ち、1部に残留することができたことが自分の大学時代一番思い出に残っている試合です。その後輩は今も選手としてがんばっています!いつか公式戦で対戦したいなと飲むたびに2人で話をしていますが、ついに先日行われた全国教職員大会でもお互いが負けてしまい、団体ではオーダーが当たらず叶わずじまいでした(笑)その後輩の目標は30代で全日本チャンピョンと言っています!卓球だけでなく人として大切なことを後輩からもたくさん教えてもらいました!

2013年8月14日(水)
「高校の先輩であり,自分を教師へと導いてくれた先生」

 高校の先輩であり、現在岡山県の高校で監督をされている先生です。自分は岡山に来てから教員をしながら2年半現役として卓球を続けました。その間練習環境を整えてくれたり、多くのアドバイスをいただきました。その先生は現役時代に全日本ランクに何度も入られている時に、実業団に行かずに教員になられました。自分も大学3年の時に実業団に行くか、教員になるかと迷っていたときに、その先生から「今じゃなくて10年先の自分のことを考えて教員になった」と聞きました。自分もその考えに共感し教員を選択しました。最初の5年間くらいは、同世代で実業団で活躍選手がうらやましく、試合結果を見るのも嫌で後悔したこともありましたが、今こうやって教員を続け新たな目標を持って卓球に関わることもでき、全く後悔はありません。また、その先生の作るチームは行動面が本当にすばらしく、自分もそのようなチームを作りたいという目標を持ちながら日々指導をしています。

2013年8月13日(火)
「高島さん」

 元全日本チャンピョンの高島規夫さん。自分が大学4年の時に出場した世界大学選手権の監督を務められていました。高島さんのアドバイスはすごくシンプルでわかりやすいもので、試合の時のアドバイスで印象にのこっているのが、個人戦でオランダの選手と試合をしていたとき、セットカウント3―2の7−3で負けているとき。自分が迷っている時にタイムアウトを取り、「サーブは全てミドル前、レシーブも全てミドル前にストップ」他は考えなくていい」とスパッと言ってくれ、自分も迷いがなくなり、そこから逆転して勝つことができました。いろいろ言いたいことはある中で本当に大切なことを、選択して伝えることは監督としてとても大切なことだと感じました。また、高島さんは、現役時代会場に着くと、会場を歩き回り照明の明るさ台からフェンス・壁までの距離を実際に感じ試合の為の準備をしていたという話も聞きました。現役時代に勝つために多くのことを考え実行していたにもかかわらず、引退後も卓球と向かい合い「今の卓球に対する考え方で体が現役時代に戻ったら絶対世界チャンピョンになれる」と言い切った言葉には本当に説得力がありました。向上心をいつになっても持ち続けることが大切だと感じました。

2013年8月12日(月)
「ライバル」

 自分には中学校時代からライバルがいました。その選手はバンビ・カブ・ホープスと全日本を制覇した選手で、自分は中学2年で初めて対戦しました。中3で初めてその選手に勝ち、その後同じ高校に進み、1年生のインターハイではベンチ争いで負け、2年生のジュニア予選では代表決定戦で負け。直接対決では大切な試合は必ず負けていました。しかし、大学で別々になってからは、ライバルというだけでなく親友としての関係ができました。向こうがランクに入れば自分も入る。世界大学にも一緒に代表を決め、ダブルで3位になりました。全日本ランクは向こうが先で、その次の年に自分が入りました。どちらかが結果を出せば負けじと自分もがんばる。国体も一緒のチームで優勝するなど、自分の卓球人生で一番のライバルで刺激しあえる親友でした。選手でも指導者でもライバルという存在が大切だなと、今改めて感じています。

2013年8月11日(日)
「マネージャー」

 高校まではマネージャーという存在がおらず、自分たちで全てのことを行っていました。しかし大学に入ると「主務」というマネージャー的存在の方がいました。試合の申し込みや大学の体育館使用の申請、お金の管理等多くの仕事を主務の方に頼っていました。マネージャーも選手として試合に出ることもあったのですが、選手の為に自分の練習時間を削って動いてくれていました。そのような仲間に感謝の気持ちを、その時にもっと伝えるべきだったと今は感じています。

2013年8月10日(土)
「大学の恩師」

 自分の選手としての卓球に対する考え方は、大学時代の先生に教えられた部分は本当に大きいと感じています。先生はトップ選手の技術から初心者指導まで全てできる方だと感じています。一つ一つの技術に対してなぜそうなるのか?ということをしっかり考えられ、わかりやすく説明をしてくれます。サーブの回転のかけ方やバウンドのさせ方など全てに多種多様のやり方があること。技術面だけではなく、湿気のある日とない日の練習の行い方や練習内容の違い、タイムアウトを取るタイミングなど全てに理由があり、意味のない練習や考えていない練習をしていると、すぐに見抜かれ注意を受けました。自分が指導者となった今もその時に教わったことは多くの場面で生かされています。

2013年8月9日(金)
「高校の恩師」

 50年連続インターハイ出場という記録を作られご存知の方も多いかと思います。卓球の指導はもちろん、学校生活のこと、人として大切なことをたくさん学び、社会人として立派な大人になるための話をたくさんしていただきました。観察力の素晴らしい先生で、試合中にベンチで先生のつぶやきを聞いていると、「次もう一回フォアにロングサーブがくる!」などつぶやいた時は本当にそのようになったことが何度もありました。卒業後も自分の活躍を本当に喜んでくれて、卓球のアドバイスだけでなく、進路など相談に乗ってくれ、卓球を軸としながら、どのような人生を送って行けば良いか道筋を作ってくれた方でした。

2013年8月8日(木)
「父親」

 自分の卓球のスタートは父親で、スパルタで育てられた話は以前にもさせていただきました。もちろん辛いことは山ほどありましたが、自分が大人になってその時の父のことを考えると、本当に頭が下がる思いです。夜勤の勤務あけで、そのまま土日の練習や試合に寝ずに来てくれたり、夜勤前に何時間も自分の練習に付き合ってから仕事へ出かけたりと、自分の為にしんどい時も多くの時間を使ってくれました。父親も覚悟を決めて、指導にあたってくれていたのだと思います。まだまだ父のように自分はできていませんが、家族の為、生徒の為、支えてくれている人の為に時間を使える人になりたいと今は思っています。

2013年8月7日(水)
「おそくなりました!」

 884先生からのプレッシャーを感じつつも、ここまで引き延ばしてしまいました・・・。たいしたことは書けませんが、以前の続きで自分が現役時代に経験したことや出会った人のことを少し紹介できればと思っています。前回からの宿題で「卓球を通して出会った人」について書いてみたいと思います!自分の文章力のなさから、すごさがあまり伝わらないかもしれませんが・・・読んでみてください!