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2013年1月22日(火)
’裏面ドライブ男(自称)’特集第2幕終わる

第2幕が終了。
「高校時代〜全国常勝チームの中での体験〜」は
いかがだったでしょうか?
そこで戦った者にしかわからないこと・・・。
競争、苦悩、伝統、プライド、プレッシャー・・・。
いろいろと感じとることができたでしょうか?

次回第3幕は、
「大学時代〜卓球を考える。多くの人との出会い〜」です。

お楽しみに!!!

2013年1月21日(月)
名前負け

【特集 〜裏面ドライブ男(自称)その20〜】

 「名前負け」こういう言葉をよく聞きます。中学生の試合では自分も、管理人の884先生の学校や、へら釣り名人の先生の学校と闘うときはやはり「名前負け」で情けないことに現時点では、スタートの時点から1・2本取られている気がします。それはやはり、先生方が残してきた実績や取り組み、試合場で出されるオーラが選手や監督に伝わっているからだと思います。
 名前負けとは少し違うかもしれませんが、自分が高校3年の時に母校はインターハイ47回連続出場中で自分達が48回目でした。その予選ですが、全国のトップ選手が集まってきている学校だから予選は勝って当たり前というような目で見ていましたが、自分達はハンパじゃないプレッシャーの中で試合をしていました。また、エースが海外遠征でいないという状況の中で予選に臨み、自分が代わりにエースとして出場することになりました。「絶対に負けられない、自分達で連続出場を途切れさせるわけにはいかない」という気持ちで試合に臨みました。普段はセットオールになったり競ったりする相手に、オール3−0のストレートで勝ちインターハイ出場を決めることができました。結果だけみれば実力差があっての勝利かもしれませんが、自分達の気迫や勝負にかける思いの違い、オーラが相手に伝わっての勝利だったのかと感じています。
 やはり、選手・監督の気持ちや行動というのは表面にでて、それが相手を楽にさせたり、苦しくさせたりすることがあると思います。強豪校の選手として、自信と自覚をもってプレーすることの重みを感じることのできた3年間でした。

2013年1月20日(日)
練習内容A

【特集 〜裏面ドライブ男(自称)その19〜】

 高校に入り自分の戦績は下がり続け、高校2年生の時にはジュニア予選を通過することもできませんでした。そのあたりから、今のままではまずいと思い、練習への取り組みを変えました。
 はじめにやったことは、チームのエースが自分と同じ戦型だった為、真似から入りました。サーブは下回転とナックルをできるだけわからないように、確実に2バウンドさせるようにだす。台から出るサーブはどんな回転だろうが全て先に仕掛けていく。台上レシーブのコース取りなどを参考にし、レシーブからの練習などに取り組みました。
 その結果サーブレシーブの技術があがり、自分のファアハンドに結び付けるパターンが増え、高校3年のインターハイでは結果を出すことはできませんでしたが、近畿大会では個人で優勝することができました。また、インターハイ後は学校によっては3年生は引退という形になり、練習量が減ることもありますが、自分は今が一番強くなっているという実感があり、卒業まで同じように練習し、高校3年のインターハイ以降が高校生活の中で一番強くなった時期だと感じています。
 強豪校に入れば最初は、練習相手が強くなり誰でも強くなります。しかしその後トップ選手になるには、やはり自分自身の卓球に対する取り組みだと思います。意識が高く、強くなるためにする練習や行動を考えることのできる人がトップにいくのかなと感じました。自分は高校2年の途中までの時間をもっとうまく使えていればと、その時にとても後悔しました。

2013年1月19日(土)
練習内容@

【特集 〜裏面ドライブ男(自称)その18〜】

 高校に入ると、中学校時代までと違い選手同士での練習となりました。今までは指導者の方が1〜10まで練習内容を考え、それに従って練習をしていた自分には考えるという力が明らかに不足していました。そのことに気づかない自分は何も考えず、ただ中学校時代の延長で、バック対オールのフットワークをひたすらやっていたら強くなると思い、その練習だけを必死にやっていました。
 しかし、高校ではサーブ・レシーブの技術やラリーのスピード等、全てが変わってきます。強い選手と当たれば先に攻めることはできず、自分の得意なパターンにはもっていけません。また意図もなく全てを威力あるボールを打とうとし大ぶりになってしまい、フォームもおかしくなり安定性もなくなりました。(高校2年生のインターハイの時に元世界チャンピオンの○藤○雄さんに、お前が試合をするときは台が2台いるな!とからかわれるほどオーバーミスが多かったです・・・)
 自分で考えるということを、できるだけ早い段階からやっていくことが必要だということを強く感じました。

2013年1月18日(金)
マナー

【特集 〜裏面ドライブ男(自称)その17〜】

 高校に入ると団体戦での応援の仕方や、試合中のマナーなど様々なことを教わりました。「相手のサーブミスやネット・エッジでの得点では拍手をしない」ということからスタートしました。他にもボールの渡す時は必ず手で下から投げて渡す、握手は手を触れるだけでなくしっかりと握る。フェンスはまたがずよけて通るなど、ここには書ききれないほどのたくさんのことを一つ一つ丁寧に、そして厳しく先輩方に教えて頂きました。
 また、県の大会に出場する時は、朝の台だしから最後の片づけまで必ずおこなって帰っていました。このようなことを最初にしっかりと指導していただいたことは、自分の卓球人生において本当によかったと思います。(しかし、自分も結果が出だして、勘違いしていた時期があり、試合中のマナーなどが悪くなった時期がありました。本当に後悔し反省しています。)

2013年1月17日(木)
優勝以外は失敗

【特集 〜裏面ドライブ男(自称)その16〜】

 「優勝以外は失敗」今年のロンドンオリンピックに出場した柔道選手がよく口にしていた言葉です。この言葉を聞くたびに、自分の高校時代を思い出していました。
 前回書いたように、自分が高校1年生の時にチームはインターハイで優勝しました。大会終了後、新幹線で駅に戻ると関係者の方々が垂れ幕を持って大勢で出迎え、祝賀会や新聞の取材など、多くの方に祝福されたことを覚えています。
 しかし、自分の高校生活で全国優勝はこの1回でした。新チームになっての全国選抜で2位になった時、インターハイの時とは全く違う状況が待っていました。駅への出迎えはもちろんなし、おめでとうの言葉ももちろんなし、かけられた言葉は、OBからの厳しい言葉のみ。もちろん自分達選手も誰一人として満足はしていませんでしたが、この時に改めて名門校の宿命というものを感じました。戦力的に苦しくても、ライバル校のレベルが高くても「優勝以外は失敗」これが自分達の宿命だと感じながら団体戦を3年間戦い続けました。(しかし、監督の優しい一面も見ることができたのも全国選抜で2位になった後で、お前たちは2位になっても誰にも祝ってもらえんから、先生が飯でも連れてったるといって、メンバー全員をすき焼きに連れて行ってくれました!)

2013年1月16日(水)
悔しい経験

【特集 〜裏面ドライブ男(自称)その15〜】

 自分が入学した時の先輩方は、前にも書いたように全日本ジュニアランクに入る選手が4人おり、その他にも中学時代に全中などで活躍した選手が多くそろっていました。過去の高校歴史の中でも上位に入るメンバーだったと思います。その中で団体のベンチメンバー7人に入ることは本当に大変なことでした。自分は1年生のインターハイでもう一人の同級生の選手とベンチメンバー最後の7人目の枠を争うところまで行くことができましたが、結果としてメンバーには選ばれませんでした。
 その年のインターハイでチームは7度目の優勝・・・しかし自分は応援にも参加することができず、会場の隅でビデオ係として優勝決定の瞬間をむかえました。チームがインターハイで優勝しても、正直自分には悔しさしか残りませんでした。一緒にベンチメンバーを争った同級生は本大会での出場こそなかったものの、県予選や近畿大会では先輩方と一緒に出場し、勝つことで自信を深めていっている姿を自分は観覧席から眺めているだけでした。この時の悔しさは卓球人生の中でも1・2を争うものでした。

2013年1月15日(火)
部内での競争

【特集 〜裏面ドライブ男(自称)その14〜】

 高校に入学後、待っていたのは校内でのベンチメンバー争い、インターハイ予選・ジュニア予選という部内での争いでした。団体戦のベンチメンバーは7人。インターハイへの出場枠は個人4名・ダブル2名。ジュニアへの出場枠は2名と、1学年6名〜8名程度の部員の中から全国大会へ出場できる人数は限られていました。県外からの選手は皆下宿生活を送っていたので、学校・練習・帰宅後も全てを共に生活していましたが、試合が近くなったり、狙っている大会の組み合わせが決まると、口数が減り、一人で食事に行くようになったりと、自然とお互いを意識した行動が大会が終わるまで続きました。

2013年1月14日(月)
初めての高校の練習

【特集 〜裏面ドライブ男(自称)その13〜】

 初めて高校に行ったのは中学3年の冬です。全日本ジュニアに行く前に高校によって、練習をしてから東京へ一緒に行かせてもらいました。体育館に入ると、卓球レポートなどで見る先輩方が、あたりまえですが普通に練習をしていました。正直緊張でどんな練習をしたか、誰と練習したかなどは、今も思い出せません・・・。
 その時の全日本ジュニアで先輩方は2位・3位・ベスト8に2人とランクに4人入るという結果でした。ジュニアの準々決勝の朝、先輩の一人から練習相手を頼まれ、限られた人しか降りられない、メイン会場の準々決勝が行われる台で練習をさせてもらえたことは、本当に貴重な経験で、これから自分はすごいところに進学をしていくんだなと感じたことを思い出します。

2013年1月13日(日)
高校進学A

【特集 〜裏面ドライブ男(自称)その12〜】

 2つ目の理由は、中学生ながらに将来のことを考えたからです。最終的に2つの学校に候補をしぼった時に、高校卒業後に進学するにあたってより選択の幅が広い学校がいいと考えていました。○○高校にいったら、大学は○○大学しかないというのは自分は嫌で、さまざまな大学とつながりがあるということもあり進路を決定しました。進路は全中終了後2週間程度で決定をしたと思います。両親がお金のことなど一切口を出さずに、自分の一番行きたいと思っている所に行けばいいというスタンスでいてくれたことに本当に感謝をしています。

2013年1月12日(土)
高校進学

【特集 〜裏面ドライブ男(自称)その11〜】

 自分が進路選択するにあたって、嬉しいことにいくつかの高校に声をかけて頂くことができました。クラブチームでプレーをしていた自分にとって、名門校でプレーをすることは憧れでした。
 進学先を決定するにあたって2つの決定理由がありました。1つ目は全中の話に戻りますが、個人戦で上位に行けば団体戦でも活躍した選手と対戦することが多くなります。一人で大会に参加している自分と、チームで大会に参加している相手、試合をすれば完全アウェイ状態です。点をとられるごとに大歓声があがり、自分が得点をしても顧問の先生と父親の拍手のみ。そのような状態の中で試合を行っていました。その中での試合ぶりを見てくれた自分の母校の監督が「あの雰囲気にのまれずに、自分のガッツあるプレーを貫きとうしたのを見て、高校でも活躍できると思った」と声をかけて頂きました。自分で言うのは少し抵抗がありますが、中学時代の自分はあとからビデオで見ても恥ずかしくなるくらい、声を出して試合をしていました。プレーも評価はしていただきましたが、自分が頑張っている姿というのを評価していただいたことが、とても嬉しかったことが今でも忘れられません。

2013年1月11日(金)
明日からは再び’裏面ドライブ男(自称)’

12月の特集の’裏面ドライブ男(自称)’が
再び帰ってきます。


いよいよ第2幕の開始です。

〜高校時代(全国常勝チームの中での体験)〜


お楽しみに!