2017年7月3日(月)
子どもたちの勝利

 今は,みんなにかたりかけています。卓球はひとりではできない。上手な人に相手をしてもらえば,当然上達が早いけれども,そればかりでは意味が無い。自分で考えること,自分で自分をコントロールしようとすること,そして何より,人の相手ができ,そのときにお互いにたかめられること。むずかしいけれども日々少しずつ話しています。
 このことを理解してもらえる保護者ばかりなので,助かっています。だれだって自分の子どもはかわいいし,何をやっても成績は気になります。私だってそうです。でも,他人の子どももかわいいんです。自分の子どもには兄弟がいませんが,みんな兄弟のようなものです。
 やがて小学生も中学生になる。むずかしい時期もむかえる。今,話していることが体内で芽生えて花を咲かせ,すばらしい集団を自分たちで作れる人間になってほしい。私のことなんか忘れていいです。感謝もいらない。私がいつもいっているのは,一緒にがんばり,一緒に戦い,一緒に過ごしていける仲間に感謝しなさいということです。

2017年7月2日(日)
個人となかま

 なかよしなだけの集団はきらいです。特に卓球は,個性と個性のぶつかり合いだと思っているので,いろいろなやつがいて,それぞれが自分の世界をつくり上げる過程でさまざまにぶつかればいいと思っています。それゆえにおこるきしみが一番大きくなるのが中学生,先生は大変だと思います。
 ただ,私の思うには,子どもたちがそこを越えていくのを見たいのが教師であってほしい。それぞれが個性をきらめかせながら集団でまとまれる。そういう理想を夢見る教師であってほしい。私に手伝えることは何でもします。

2017年7月1日(土)
小学生を指導するその3

 規律は必要。しかし,子どもに規律を求めすぎるのはきらいです。卓球は,特に,創造性と単調な習熟のくり返しで進歩するものと思っているので,リラックスした状態でなお集中できるようにしたいのです。
 ここらのさじ加減は,本当にむずかしい。集中力の低い子をしかっても,実は,その子がその日の学校でとってもがんばったのかもしれない。うまくいかないのは,子どものせいではない。いちばん大事なのは,声のかけ方とタイミング。しかるのではなく,励ますこと。わかってはいるけれど,ときどき失敗します。失敗の奥を見つめると,必ず自分の感情コントロールの失敗があります。
 本当に声を荒げるのは,どうしても許されないことと危険なことだけでいい。あとは怒って見せても,必要な演技,感情的にはならない。そんな人間になりたいです。

2017年6月30日(金)
小学生を指導するその2

 時代は,どんどん速度をはやめ,子どもたちを追い立てます。私の子ども時代からは考えられないような忙しさです。それでも,実は子どもの本質は変わらない。無邪気で好奇心にあふれ,わがままだけど素直で,自分たちの世界をつくろうとしています。
 自分の小学生のときを思い出して見ると,あれほど熱中していたゴムボールの野球(ルールはすべて自分たちで改造したもの)が,少年ソフトボールの練習になったとたんに,どんなに色あせて見えたか。勉強はできなくても,マンガを描くのが上手な同級生がどれだけ人気があったか。運動会で足の速い同級生にどれだけあこがれたか。
 回り道であっても,子どもが自分で熱中できる状態をつくろう。その上で,少しずつ結果が出ていかなければいけない。これは,私の責任。もっとも,とうていオリンピックには出られない,候補にもなれないでしょうけど。

2017年6月29日(木)
小学生を指導するその1

 ここ数年,卓球界はスーパー10代の話題で沸いています。そのことはすばらしいことです。しかし,そこまで来る過程にはあまり近道はなく,ティーンエイジャーといっても,幼少期から10年以上の長く苦しい練習を積み重ね,そこに到達しています。しかも,卓球の用具の変化,技術革新の速度はすさまじく,今,よくても将来どうなのか。成功者は千分の1,いや万分の1でしょう。
 私は,いつも,別に卓球でなくてもいいと思っています。野球でもサッカーでも音楽でも,鉄道マニアでもいいのです。自分がやりたいからやる,夢中になってするから楽しい,しんどくてもめんどくさくてもなお楽しい。こうならないかな。
 実は,学習も同じことだと思っています。小学生から一番遠ざけたいのは評価テスト。テストごときにふりまわされないで,学習が楽しいと思わせられないかな。全国学力調査なんて最悪。と思いつつ,自分の仕事を振り返り,自己嫌悪にかられます。

2017年6月28日(水)
結果は必要ないのか

 結果のないところには,何も生まれないし,人も集まりません。そのことを追求するのは,大人である私の役目。いかに結果を出すかは重要です。
 練習,練習試合,公式戦,これのくり返しの中で,小学生を鍛えていくにはどうすればよいのか,つねに考えています。ただ,それぞれの身の丈にあったやり方を考え,少しずつ成長させたいのです。すさまじく強い小学生もいるなか,あきらめることなく,日々自分たちにできることを追求しながら,目をかがやかせて卓球する子どもたちをつくりたいのです。
 そのために必要なのは,まず,私が子どもたちの近くによりそうこと。ひとりひとりを見つめながら,彼らの将来を思い描くことだと思っています。

2017年6月27日(火)
子どもと大人

 子どもであることと大人になること。今,考えていることは,小学生を指導するときの姿勢です。小学生には,子どもであってほしいと思っています。スポーツの結果も,学校の成績も,周囲の評価も,実は全部大人の目線から見たもの。これらのことを結果で叱ってはダメだと自分にいいきかせています。
 結果はやがて必要になります。好まなくても,大人になるにつれてそれなりの結果が要求されるようになります。しかし,そのことをふりかざして子どもにプレッシャーを与えることが良いことなのか。少なくとも,小学生には必要ないと思っています。

2017年6月26日(月)
県大会

 なんとか,団体戦で県大会に行けるようになりました。また,個人戦のほうも順調でした。よかったです。ただ,これはもう中学の部活の話。今,中学校のほうは先生がしっかり進めており,私は私の指導をしっかりやろうとしています。
 おたがいの連携をとりながら,より良い方向へと進みはじめているように思います。
 現在の私の最大関心事は,小学生の指導。昨年からの多忙で,小学生と向き合う時間が少なかったように思います。やはり,小学生は,しっかり見ていないといけないなと思っています。大きく包むように言葉をかけながら育てたい。そのためには,いつも近くにいてくれると感じさせないと。
 決して悪い状況ではないのですが,来年の春までにもっといいチームにできるよう,がんばります。

2017年4月17日(月)
炎上覚悟

 炎上覚悟で言ってしまいます。
 この6年見てきましたが,試験中にも卓球している人とそうでない人の間には大きな実力差があります。そんなことは当たり前なのですが,結局,その人たちの試験内容が悪いかといったら,そんなこともないのです。
 試験前には部活停止,その分,勉強時間は増えるはず。ならば,毎日とは言わないまでも,自分で調整して練習を継続しようとする態度。子どもがそうであったとき,親は子どもを信頼してまかせるでしょうか。それで,試験成績が少しでも下がれば,たちまち,強権発動するのではないでしょうか。
 むずかしい問題です。でも,テスト前を特別にしたって,本当に集中して勉強だけをやり,終わったらすぐに切り替え,集中して運動をやれる中学生が何%いますか。ここが課題です。なんとか,文武どちらも継続してやる子を見ていたい。
 がんばります。

2017年4月16日(日)
継続の意味

 できるだけ規則正しく,子どもの時間をつくるということを考えています。もちろん,どうしても練習は夜に偏りますし,成長という意味からはいいことばかりではありません。いま言いたい規則正しくとは,例外をつくらず練習を継続させるということです。
 今日は学校行事がとか,今日は職員会議がとか,プチプチと練習が不規則に切れます。これでは,子どもらは集中して物事をすることを覚えません。せめて夜間練習は不定期な休みを入れまいと思っています。何があっても決めたことを規則正しく継続するということ。これが,どんなに大きな力をもつか。ルーズでなまけものの私に卓球が教えてくれたことです。
 私のところは,テスト前も関係なくやっています。もちろん,来る子どもは激減。中学校ではテスト前であろうがなかろうがきちんと勉強し,テスト前でも勉強も運動もペースを変えないほうがいいと思うのだけれど。テスト前くらい勉強しなさいというのは,意味不明です。そうしても,実力はつかないと思います。

2017年4月15日(土)
高校生

 新高校1年生が何人か練習にきてくれています。思えば,こいつらにもよく小言をいったものです。そんなことを思いながら眺めていると,いつのまにか大人になって,しっかりプレイヤーになっていることに驚きます。
 結局,私がごちゃごちゃ言わないでも,しっかりと大人になっていくんだなと思います。ただ,いろいろ言ったことが何かのきっかけになり,少しでもいい大人になってくれればいいな,と思うばかりです。

2017年4月14日(金)
継続ということ

 なにげなしに入った卓球部,ふとにぎったラケット。ところが,それが人生の大きな部分を占めてしまうこともあるのです。そのキーワードは「継続」ということ。何も,卓球である必要はない。もっと他にやりたいことがあったなら,そちらに変わって思い切りやるのもいい。ただ,何をやるにしても,本当のおもしろさは「継続」してみたあとにしか分からないと思います。
 少なくとも,卓球がおもしろいと感じたならば,まず「継続」して練習してうまくなろう。次には,「継続」して練習して強くなり,勝って負けて,涙が流れるくらいのところに行こう。その上で,もっと卓球をするのか,他のことにチャレンジするのか決めればいい。中学生というのは,そういう時期なのではないでしょうか。

2017年4月13日(木)
プレイヤーに対する尊敬

 私は,子どもを教育する大人ではありません。失敗をくり返しながら,なんとかプレイヤーとして卓球をしてきた人間です。なので,卓球以外のところでは,あまり叱る気になれません。私の指導しているものは,あくまで卓球です。
 そして,ここがややこしいところですが,卓球の強さの前に,プレイヤーの顔つきになってほしいと思っているのです。これについて,卓球の強い弱いは相対的なものなので,その評価とは別の話です。
 もちろん,勝負事なので,対外的な選手の評価は勝ち負けの一点に集まります。しかし,私にとっては,その選手がプレイヤーであってくれればそれでいいのです。そのような選手には,たとえ小学生であっても初心者であってもリスペクトを感じますし,指導のしかたも大きく変わってくるのです。

2017年4月12日(水)
皆に求めているもの

 結局,求めているものは,プレイヤーになってほしいということ。よく,こんな風に話しています。
 卓球(ピンポン)を楽しむことは,温泉卓球でもやります。でも,その人たちは毎日,何年も練習したりはしない。うまくなりたい→勝ちたい→強くなりたい。この繰り返しで集中して練習する人がプレイヤー。
 目の前の人間と遊んでいて,その遊びのひとつに卓球があるのではなく(これはレクリエーション),目の前の人間と卓球をしているようになること。そうなると,相手がだれであっても,卓球をするということに,大きな変わりはなくなります。まったく,初対面の人とでも,関係なく卓球に集中できるようになります。
 これが,私の思うところの,プレイヤーになるということです。

2017年4月11日(火)
新年度

 新年度が始まりました。顧問の先生も新しくなり,また新たなスタートです。もう少ししたら,また,知らない子どもたちとつき合うようになるのでしょう。そうして,今見ている子どもたちも,一つ大人になっていく。自分は一つ老人に近づく。
 とても面白いのですが,つくづくパワーもいるなと感じています。気持ちを入れないとクラクラしてきます。
 先日,だいすぎ先生にお願いして合同トレーニングを行いました。つくづく実演できない体になってきた我が身をのろいながら,だいすぎ先生の若さに少し嫉妬しながら。
 がんばります。

2017年3月7日(火)
異質プレーヤー

 同色による幻惑がなくなってから,異質プレーヤーはいなくなっていきました。しかし,中学校の現場には非常に多い戦型です。ただ,私自身が粒高などを使っていた経験からいうと,弧線が少なく強いドライブを打たれると,非常に厳しい状況になります。フォアで動いてくれればまだゆさぶれますが,速いタイミングの両ハンドドライブで攻められるとお手上げになると思います。
 今後,卓球がもっと進化し,両ハンドドライブが自然になったとき,異質選手はどうすればよいのか。あるいは,高校,一般と進み,相手のパワーやスピードがどんどんあがってきたとき,異質選手はどうすればよいのか。答えはやはり,反転の中にあると思います。反転技術は,1人でできる練習です。面白くなく,つらい反復練習ですが,コツコツ努力できる選手には,非常に向いていると思います。特に,ペンの反転に魅力を感じます。私は途中で挫折しましたが,寝ても覚めても反転練習していた先輩が,恐ろしいうまさでラケットをあやつっていたのを思い出します。
 反転攻撃,反転ブロック,裏面攻撃…etc。これはこれで,地味だけどとても面白い世界ですよ。

2017年3月6日(月)
センターフォアハンドとセンターバックハンド

 体が小さいうちに何をすべきか,自分の卓球の根幹にかかわるところをどう作ってやるのか。私のところは,プロを目指しているプレーヤーはいません(たぶん。ちがっていたらごめんなさい)。それでも,今後長い卓球ライフを歩むのに,自分で選択ができるようにはしてやりたいと思っています。
 ミドルに来たボールの処理がキーポイントだと思っています。センターフォアハンドとセンターバックハンドの2つの考え方。足や体の使い方,卓球の組み立て方が全くちがう考え方を組み合わせ,多彩なプレーができる卓球選手になってほしいと願っています。一流プレーヤーを目指すのではなくても,そのことを分かってほしいと思うのです。

2017年3月5日(日)
ヨーロッパのバックハンドとアジアのバックハンド

 カットから発展してきたヨーロッパの選手は,肩を中心とした大きな回転半径のバックハンドをふれる選手が多いです。かたや,左押し右打ちの伝統があり,ピッチの速さを追求する中国の選手は,前腕をうまく使った小さなバックハンドをふり,強力なフォアハンドに結びつけようとする選手が多いです。
 体が大きくパワーがあるが動きが遅めのヨーロッパ選手と,小柄でパワーにおとるが敏捷なアジアの選手では,スタイルがちがうのもわかります。しかし,今後は,速いピッチで前腕が使え,なお,肩を使った最大パワーも出せるというハイブリッド選手がのびてくるのではないでしょうか。
 トップ選手のことは関係ないのではないのです。世界のトップで起こることは,すぐに全体に伝わってくると思っています。

2017年3月4日(土)
ドライブ最強の時代

 ある時代まで,カットはドライブに弱く,ドライブは表ソフトに弱く,表ソフトはカットに弱いという,ジャンケンみたいな状況が続いていました。
 かつてヨーロッパで全盛だった守備型カット,その後の異質を生かした変化型カット,しかしルール変更後,本当に強いカットが現れるのには,人間離れした守備範囲と攻撃力を誇る,韓国のチュセヒョク選手までまたねばなりません。もっとも,このルール変更以降,カットの世界チャンピオンは現れていないのです(女子でもね)。
 ペン表は決定的な弱点をかかえていました。バックの深いところに強いツッツキを集められると,どうにも厳しいのです。左対右の対決なら,まだなんとかなるのですが,対角線を不用意に回り込むと,ピッチがはっきり落ちます。また,バック対バックの対決に強いバックドライブが使われるようになると,お手上げになってきました。
 現代は,ドライブ最強の時代。多くの選手がシェークウラウラです。今後の卓球がどうなっていくのか誰にも分かりませんが,両ハンドでさまざまな打法をあつかえる選手に,とりあえずは軍配があがるでしょう。

2017年3月3日(金)
私の時代A

 なにせ,恐ろしい時代なのです。ラバーの色には全く制限がなく,試合前に相手のラケットをチェックすることもできない。セット間には,ラケットは必ず持ち帰り,相手の目にふれないようにするのです。サービス時には,インパクトを手で隠してOK。しまいには,体で隠すために,相手におしりを向けてサーブを出すことも流行。よく仲間と言ったものです。「あいつ,粒高かな,アンチかな,いやウラウラかな」
 回転の情報はとにかくないのです。ボールの微妙な変化に対応するために,回転を軌道で見極めるために,膨大な練習時間を使ったと思っています。
 こんな時代はある日突然終わりを迎えます。大学3年の初冬でした。国際卓球連盟が,両面異色のラバーというルールをつくるという噂が流れます。それからあっという間,年があけたら,そういうルールになりました。多くの選手が突然勝てなくなりました。
 中国の前監督,蔡振華選手の活躍がきっかけのようです。変化を守備に使うのではなく,激しく反転しながら攻撃しまくると,どうにも対処のしようがない。世界選手権で,全くラリーにならなくて,試合を投げてしまうヨーロッパ選手もいたのです。残念なことに多くのカットマンが,突然のルール変更の巻き添えを食い,カットの時代はいったん終わりをつげます。

2017年3月2日(木)
私の時代@

 私の時代は,中国の前陣速攻が中心になりつつあり,アンチ・粒高などの反転変化が猛威をふるっている時代でした。国内では,ペン表,日ペンドライブ,異質変化のカットマンが3割ずつくらいいて,次第にアンチ攻撃や粒高ブロックなどが増えていたのでした。シェークのドライブマンは少なく,シェークであってもオールフォアが中心でした。
 私はといえば,ペン表で,当時の世界チャンピオン江加良選手にあこがれていました。スピードとピッチ,バックプッシュをみがくのに必死でした。
 もっとも,異質カットマン全盛の時代においては,カット攻略ができなければどうにもなりません。朝から晩までカット打ちに明け暮れているうちに,フォア打ちよりもカット打ちのほうが好き,などという変な状況になっていました。

2017年3月1日(水)
卓球の歴史

 このブログ上では,私が最年長だと思うので,卓球の歴史について語らせてもらおうと思います。だいすぎ先生も歴史好きだけどね。
 カットマン全盛のヨーロッパの時代(カット)→ペンホルダーの強力フォアハンドの日本の時代(フォアドライブ)→左押し右打ちの前陣速攻スタイルの中国の時代(速攻)(文化大革命という悲しい時代がなければ,中国はもっと速く最強王国になっていたはずです。)→異質変化の時代(アンチ,粒高全盛)→オールラウンドのスウェーデンの時代(シェーク両ハンド)→ヨーロッパの復権(グルーの隆盛とバックハンドドライブ)→アジア型シェークハンドの中国の独走(強い回転とバックのピッチの速さ)→両ハンド速攻の日本の時代?(期待をこめて,ガンバレ平野美宇)
 こんな流れかな。あってます?だいすぎ先生。

2017年2月17日(金)
春をまつ

 いろんなことが足りない。私自身の気力・体力・集中力もまったく足りない。もっともっといい練習をしているチームも多いだろう。全国へ向かうモチベーションにあふれているチームもあるだろうと焦りがつのる。寒くて,忙しくて,気ぜわしくて。春をまつ気持ちが強いです。
 しかし,ただ春をまっているだけでは,春になってもうまくいかないのはわかっています。いまできる最善の努力をする,そうして春をまつ。そう自分にいい聞かせている2月です。

2017年2月16日(木)
春からは

 もうしばらく,私が直接指導できない日々は続くでしょう。個人的にも,息子が他県へ出るので3月は忙しい。いちばん気がかりなのは,小学生の初心者たちにていねいな指導ができていないことです。
 春からは,初心者指導(そのうち新中1も)を多球でていねいにやりたい。さらに,できる子たちには課題をもっとつっこんで話し合い,意識の高い練習をさせたい。そのために,いま,どういう意識の持たせ方をすればよいか。現状の私にできるのは,技術指導ではなく意識改革。声かけの工夫だけなのです。

「みんな上手くはなってきた。しかし,強くなろう,強くなろうと思いながら練習をしよう。君らを信じている。」

2017年2月15日(水)
課題

 現在の私のチームには,中2の男子がひとりもいません。小学生は小6がいません。高校1・2年は,いそがしくて不定期にしか参加できません。中1と小学生が練習できるように,はやくレベルをあげることが緊急課題でした。
 夏以降,高校3年生たちや中学3年生たちが実によく手伝ってくれました。内容を指定して,注意点を細かく伝え,その場で私が皆のチェックをしながらやる。高校生や大人が相手をし,私は全体を見て,気の抜けない状況をつくりあげれば当然うまくいきます。かなり,レベルアップすることができたと思います。しかし,こんなことがいつまでもできるわけではありません。
 高3たちは,3月後半には他県へ旅立ちます。中3も今は受験直前,4月からは高校に進みます。中1と小学生がそれぞれ1つずつ学年が進み,おたがいが真剣に高め合う練習をしなければならないのです。また,新たに卓球をはじめる子が入ってくれば,その子も引っぱっていかなければなりません。そういったところはもう少しです。かなりよくなってきましたが,こちらがはっぱをかけないと,だらだらとした練習におちいることも,まだ多いです。

2017年2月14日(火)
いろんな選手

 現在,私のチームには,年齢層・性別・所属の異なったさまざまな選手がいます。年上の人にお願いしたり,年下の人にお願いしたり,男子が女子に,女子が男子にお願いしたり,こんな経験がとても大事だと考えています。友達どうしでなんとなく楽しく打つのは,休憩時間だけでいいです。
 さらに,初心者も数人いるので,そのときは初心者に合わせることになります。さすがに初心者の練習はこちらが指定しますが,反対側が注文するときは,初心者に合わせて練習内容を決めるように求めます。その際も,自分の練習であることを忘れないようにとつけ加えます。
 その日の参加メンバーによって,うまくペアリングを決めるのが私の仕事です。

2017年2月13日(月)
コミュニケーション

 練習効率だけを考えるなら,もっと細かく指定するほうがよいのかもしれませんが,こちらが指定すればするほど,選手どうしのコミュニケーションは失われます。
 いまは,1〜8の台の片側に8人,もう片側に8人を指定し,片方の8人が時間とともに移動するシステムです。持ち時間を1人5分ほど設定し,対面の相手に練習内容を自分で説明する。交代して反対の側が5分やったら移動,という感じです。5分×2×8で80分 その後,1ゲームのエレベーターゲームをやっています。
 選手どうしが相手に練習内容を説明し,返してもらうコースや球種を指定して練習をする。この「コミュニケーションをとる」という作業をさせることが最も重要なことではないかと思っています。

2017年2月12日(日)
自主性

 最初に目についたのは,意外にも自主性です。思ったよりも真剣に取り組んでくれました。フットワークの種類やパターン練習などを指定しているときより,自分で練習内容を決めたときのほうが,ずっと真剣にやっている印象でした。
 正直,まかせてしまうと,もっといい加減になるのかなと思っていました。選手たちをなめていたなと反省です。
 この半年あまり,高校生や大人も参加して,両ハンドのストローク,切り替え,フットワーク,サービスレシーブと三,四,五球目などを継続してやってきました。選手たちは,その中から選んで,けっこうまとを得た自分の練習をやっています。

2017年2月11日(土)
久しぶりに

 久しぶりのブログです。お読みいただいている人がいたなら,長期お休みしてしまってごめんなさい。
 このところ,なかなか卓球指導が直接できません。受注生産の仕事をしている身としては,どうしようもないときもあるのです。こういうときも,練習量(練習できる環境)だけはなんとか確保します。しかし,その場にいて指導することはできないのです。学校に出向けないのはもちろん,チームの夜間練習も初めと終わりにしか立ち会えません。
 とりあえず,練習スケジュールだけ指示し,選手達を信用して練習内容をまかせるようにしています。こういうのをアクティブラーニングというのでしょうか(笑)。ケガの功名なのか,少しずつ手ごたえはあります。

2016年12月18日(日)
種がまかれた

 自分の人生は自分で決めていく。だけど,自分だけで生きているわけではない。一度も出会うことのない人も同じようにみな生きている。卓球だって,世界中のあちこちで練習している。小中学生は,なかなかこんなふうには考えられないと思います。そのことを感じられるような練習場所にしたい。
 ちがう中学校からも少しずつ参加する人が増えてきました。知らない社会人から連絡があって,練習参加していただけることも増えてきました。OBOGが手伝ってくれることも増えてきました。
 土をたがやす時期から,ようやく種がまかれたのかなと思います。この地域に卓球がしっかり根をはって,大きく育っていくように見守りたい。現実は日々苦闘ですが,今が一番幸せな日々なのかもしれません。なんとなく,そう感じています。

2016年12月17日(土)
自由意思

 卓球をするのは,自由意思です。現在のトップ選手のほとんどが,幼児期から卓球をしています。そのため,だいたい親が卓球関係者のことが多いです。私の子も卓球をしていますが,小学校低学年のときには,剣道やりたいといって通っていました。身近に卓球があったので,卓球をするようになりましたが,薦めたことはありません。
 考え方はそれぞれですが,中学校で卓球に出会った生徒にもっとも大事なのは,自分で強くうまくなろうとする自由意思でしょう。もっとも,そうなるようにうまく誘導するのも大事な指導者の仕事でしょうが。
 私の子は,卓球をはじめてからしばらくは,もっと練習するかと聞いてもマイペースで断っていました。ある日,強くなりたいから,もっと練習させてくれと言ってきました。それまでに何年かが過ぎており,もったいないと思う気持ちもあります。それでも,自分のことは自分で決める。幼児期から卓球一筋だった人にはできない贅沢な選択です。

2016年12月16日(金)
練習量

 練習量は必要ですが,故障しては何にもなりません。心とからだのしなやかさをどちらも保ちながら,なお,強くなるための練習とは。永遠のテーマです。しなやかに自由に,だけど弱いのではしなやかさも自由さも保てない。本当の自由を手に入れるために,夢中になって強くなろうとしてほしい。その時に入る力みをぬいてやるのが私の仕事であってほしい。
 しかし,現実はなかなか遠いのです。むしろ,叱ってやる気や集中力をあげなければならないことのほうが多い。練習もやりこまなければ強くならない。私が感情的になってしまうこともあるのです。そんなときは本当に落ち込む。
 それでも,私は私の理想の灯をかかげて競うのです。以前も書きましたが,この言葉が私のささえです。

2016年12月15日(木)
むちみ

 昨日,からだのしなりと書きましたが,最近,テレビでいい言葉を耳にしました。「むちみ」琉球拳法の言葉のようです。琉球拳法を研究しているわけではないので,正確なことは知らないのですが,「鞭のようにしなる身体」と解釈して,勝手に卓球の説明に使っています。
 からだの体幹,股関節をうまく使い,遠心力と求心力を効かせてスイングと戻りを一体化させていく。ヨーヨーやでんでん太鼓のようなイメージをもっています。
 もっとも関節のつかい過ぎは,不安定な上,故障の危険も増大します。関節をしならせて打つことにはこだわりすぎず,関節をしならせて戻り,1球ごとにステップしてリラックス。やわらかく,やわらかく。

2016年12月14日(水)
しなり

 卓球を指導するとき,いちばん気にしているのは,からだのしなりです。しなりを出すためのからだの使い方,その上での安定感。体幹の力や下半身のねばりが出てきたときに,最大パワーが出てくることを目指します。理想はバックでもフォアでも同じようにです。
 関節のしなりを最大限に生かすことを体感することで,運動能力全体が進歩してほしいと思います。ただ,うまくいかないと相当不安定になります。ここをクリアするために練習です。ボールを安定させるために,いかに合理的に回転をかけるか。それぞれのからだの特徴によってちがうと思います。最後は自分でつかむしかないのです。
 がんばれ,がんばれ。

2016年12月13日(火)
しなやかに

 私の心の中にずっとあるもの。自由に,しなやかに,ということ。このことを自分で守るために強くありたい。小中学生であっても,そうあってほしい。もちろん,叱らなければならないこと,分かってもらわねばならないこと,自由と自分勝手のちがいを根気よく説明しながらです。自由と自分勝手のちがいを私自身が噛みしめながらです。
 そうすることで,私もがんばれる。仕事も人生も,流されるのではなく,立ち向かうのでもなく。強い風も荒波もしなやかに受け止め,自分のポリシーを守りながら他者との関係を良好に保ち,何者にも束縛されない自由な心で人生を送っていく。
 私の理想です。

2016年10月22日(土)
理想の灯をかかげて

 私の理想は,「卓球は自分のもの」ということです。究極の応援者でいたい。アドバイスしても叱っても,それはその過程にすぎない。結局,「大好きな卓球を自分で追求する」以外に道はない。そういったなかまが大勢あつまり,競い合いたい。
 トップ選手を養成しようと日々苛烈な競争を続けているクラブチームの方達には,鼻で笑われるかもしれない。中学生を上のステージに導き,成長させるために,充実した部活動を目指している先生方からは,甘いと言われるかもしれない。
 どっちつかずのドンキホーテですが,それでもいいのです。私は私の理想の灯をかかげて競います。それが,この地区の卓球の活性化につながることを信じて。もう一度いいます。捲土重来です。

2016年10月21日(金)
退部者

 外部コーチをはじめてから,ここ数年,退部者がいませんでした。また,高校でも卓球を続けてくれる子が多いこともうれしいことでした。しかし,今年の春,今の2・3年生からは,それぞれ退部者が出ました。
 悔しいことでしたが,正直,ホッとした感じもありました。なぜなら,日常生活に関する問題が大きすぎ,部活動が普通にやれない状況だったからです。しかし,このことが私のもっとも大きな後悔です。なぜなら,彼らは卓球が好きな生徒だったからです。
 彼らは,学校には来れなくても,卓球部の活動には早朝から参加したりするのです。もっと彼らの卓球を応援できたら,卓球にもっと夢中になり,やがては日常生活も改善していくのではなかったのかと考えてしまいます。もちろん,そんなにうまくはいかなかっただろうことは分かっています。事はそんなに簡単では無く,家庭の事情も含めれば,私の手に負える問題ではない。
 それでも,自分が学校と一体化せず,自分のできる事をもっと追求しなくては。学校の先生では無い私には,学校では見せない顔を見せてくれるのですから。

2016年10月20日(木)
優性の法則

 理科の遺伝で学習する「優性の法則」を知っていますか。ここで,言いたいのは「優性,劣性」という語が,すぐれているかどうかということでは無いという点です。
 表に出てきやすいものと出てきにくいものとは何なのか。それぞれ,ひとりひとりを眺めると実に面白く,みんなの顔を毎日みたくて,しょっちゅう学校に行っていました。しかし,スタンスを改めます。学校でいう優劣は,すぐに学業成績や学校生活への順応に結びついてしまうように思います。それはそれで重要な事ですが,学校のやるべきこと。私はちがう視点で彼らを見続けるために,学校外での活動を増やします。
 もっとも,みんながみんな,学校外の練習にきてくれるわけではありません。気持ちの中で,「どの子もみんな区別無く」と自分をいましめながらです。練習量が多い子がどうしても中心になっていくことは避けられませんが。

2016年10月19日(水)
無理をしない

 昨日,新たなやり方と書きましたが,そこには自身のスタミナの問題もあります。無理は続かないということがよくわかりました。よく考えてがんばらないといけないということが,身にしみてわかる年齢になってきたということです。
 ひとりで頑張りすぎてはいけない。それは,顧問の先生も生徒達もそうです。もっとも,そこで要求されるレベルは高いものでなくてはならない。「頑張ったね。部活だからね。」なんて言葉で終わらせるつもりはないのです。「学校生活の上に卓球部がある」という言葉もきらいです。「学校生活も卓球部もどちらも同じようにある」のです。

2016年10月18日(火)
新たなやり方

 反対意見もあるかと思いますが,以下は,私の考え方です。
 学校の練習時間は,短いなかで極力成果を上げる方法を考える。学校での指導を通じて,卓球を好きになってもらい,プラスα練習したい子を増やす。顧問の先生(交代されても)に卓球を理解してもらい,熱意のある部の運営をはかってもらう。
 クラブとして,レベルの高い練習を提供し,上手く強くなってもらうことで,質の高い練習と練習量を確保する。さらに,経験値も増やしていく。この子らが,学校の練習に高い意識で取り組むことで,部活動全体のレベルを高めていく。
 10年間やってみようと思った前半の5年間がすぎました。顧問とのコミュニケーションに時間をかけてきた5年間でした。(5年で3人というのは,想定外でしたが)後半の5年間,どうすればうまくいくのか。まだまだ模索中ですが,がんばります。

2016年10月17日(月)
新チーム

 新チームになって,以前から考えてきたことを実行に移しました。それは,学校のことは顧問の先生がメインですること,自分はアドバイザーに徹しようということです。
 もちろん,いままでより熱意が下がっているわけではありません。しかし,より上手な役割分担を考えるということが,チームに,顧問に,そして何より私にとって重要なことだと思っています。学校や先生方からは,感謝の言葉をいただいていますが,少し,学校のすべきことに深入りしすぎ,かえって部の活力を落としてしまいました。
 幸い,顧問の先生の熱意のおかげで,うまく回りはじめているように感じています。捲土重来です。

2016年10月16日(日)
残念・無念

 外部コーチになって,初めて県大会に行けませんでした。残念・無念としかいいようがありません。しかし,地区大会当日には勝負がついていたように思います。結局,重要なのはそこまでの過程・練習で,当日ミラクルが起こることを期待してもしかたがないのです。野村克也氏の言葉が蘇ります。「勝ちに不思議な勝ち有り,負けに不思議な負けなし」です。
 私自身,この地区大会での自校のレベルは,いいとこ10番目くらいと思っていました。そこを上げられなかったのは,私の力不足です。そこをかみしめながら,年末を目指します。

2016年10月3日(月)
卓球

 ようやくたどりつきました卓球の話。低年齢からやったほうが身につきやすい競技である卓球は,少し悩ましいスポーツです。プロ養成機関は別のこととして,私自身は次のように考えています。
 始める時期は自分のやりたいときでしょうが,小学校3,4年生くらいまでは,マイペースで楽しく,自分の楽しみのひとつ。小学校5年生くらいからは,その子に応じて,頑張ること,必死さ,勝つことなどを教え,競技レベルを高めていく。中学生はその続きで,しだいに自分で考えることを高める。高校生は自己責任をベースにして,応援してやる。
 こんな風な方針で,小中高入りまじってやっています。中学からはじめる子,中には高校からはじめる子もいて調整も大変ですが,幸い,今はうまく回りはじめています。だからこそ,卓球が弱くて下手な集団ではいけないと思って取り組んでいます。

2016年10月2日(日)
中学校

 学校と塾の2カ所で,ほぼ同じ内容をちがうやり方で教える愚かさ。こうやって,時間をとられ,やりたいことができなくなる,見つからなくなる。逃げ場はスマホの中。さらに時間をうばわれ,袋小路に入る。
 どこかで断ち切らなければいけない。ひとつはリア充で,部活の充実は,そのためにも必要だと思います。もうひとつは学習の考え方。学校のペースについていけない子には,補習が必要です。昔は,学校の補完をしてくれる塾がたくさんありました。今は,ほぼ絶滅状態で,進学塾ばかりが成果を競い合っています。学校の補完をできるシステムがどうにか準備できないものか。
 これらが,きちんと機能すれば,スマホなどにとられる時間も必然的に減ると思います。ただ,どちらにしても,親は,スマホなどを与える時期をできるだけ遅らせる努力はしなければいけないでしょう。そのためには,大人も自分の使用法を見直すべきです。

2016年10月1日(土)
小学校

 小学校低学年も同じ事。読み書きそろばんをしっかりやりながら,できるだけ遊ぶことが大事だろうと思います。勉強というのは,ある年齢まで(できれば中学校まで)は必要最小限にとどめるべきだと思います。必要というのは,まあ,学習指導要領に準じて考えればいいのではないでしょうか。興味のあることをどんどんやればいい。
 一方,小学校高学年には,いろんなひずみがあるように思います。個人的には,教科によっては教科担当制のほうがよいのではないかと思っています。中学校と小学校の連携は,今後もより求められていくのでしょう。2020からの小学校英語の評価化は最悪だと考えていますが,このあたりから,学習現場も大きく変わっていくのでしょう。
 ただ,現場の変化に乗じて学習塾の存在がどんどん大きくなっていくのが問題です。小学時代から塾に膨大な時間をとられ,内容をつめこまれては,中学生になってからも塾無しでは暮らせなくなる塾中毒になってしまいます。

2016年9月30日(金)
幼児教育

 幼児教育といえば,どんなことを思われるでしょうか。悪いことばかりではないのですが,幼児に文字を教え込んだり,早くから計算を強要したりでは,無意味どころか弊害が大きいと感じています。
 ほとんどの幼児が,本に興味を示します。読んでやれば,もっともっとと夢中になります。では,なぜ本を読まない子が増えるのか。それは,うまく読めないから苦痛になるのだと思います。うまく読めないのはなぜか,早くから文字を教えるからです。もっともっととねだる子ども(しかも,同じ本の同じシーンのくり返しが非常に多い)に,極力つき合って,おもしろおかしく読んでやればいいのです。たどたどしく自分で読むよりもはるかに速く,豊かな量が頭に飛び込んできます。想像の翼が自由にふくらむ瞬間でしょう。文字なんか,やがて覚えます。日本の小学校教育を受けて,ひらがなのかけない大人なんかいないでしょう。
 算数だって同じこと。どうしても必要なことは,小学校のカリキュラムに入っています。パズルや数字遊びなど,楽しいことをどんどんやるべきです。

2016年9月29日(木)
中学入学までにすべてが決まる

 10代に入るまでの生活がすべてを決めていくのではないか,とそう思っています。もちろん,うわべだけの基礎学力などのことを言っているのではありません。
 昔,子どもを保育園に迎えにいったとき,子どもが園庭を動こうとしなかったときがありました。木漏れ日がきらきら光り,木の影がゆれているのを飽かずにいつまでもながめているのです。少し待ったあと,声をかけようとした自分を園長先生が止めました。「お父さん,今日,時間ないですか。もう少し待って,気のすむまでながめさせてあげませんか。」その日,特に急いでいたわけではないので,しばらく待つことにしました。しばらく待ったあと,子どもはふりむき,何事もなかったように家路につきました。
 もちろん,大人には大人の事情があります。しかし,子どもにも子どもの生活があるのだということをそのとき学びました。できるだけ子どものペースに合わせられるように,自分の用事をコントロールしようという努力(かなり大変ですが,とにかく努力)をすることが大事なことだと思います。

2016年9月28日(水)
教える,育つ。その3

 幼児から小学生にかけて,最も肝心なのは根をしっかりはらせることだと思います。「興味・関心をもち,自ら学んでいける子ども」これを追求することと,現在一人歩きしてしまっている基礎学力なるものは,似て非なるものだと考えます。もちろん,「読み書きそろばん」は必要なことで,小学校時代にしっかり学ばねばなりません。ただ,自ら考える力(想像力,意欲,集中力etc)を同時に育てていくことを忘れたら,何にもならないと思うのです。
 では,どうすべきなのか。子どもの感覚に合わせて時間を使うことが,いちばん大事なことだと思います。子どもの感覚はひとりひとりちがいます。家庭では,自分の子どもに合わせた生活を考えること,学校では,いろんな子どもの感覚に合わせるために,幅広くゆったりした教育を考え,評価を最低限にとどめることが重要だと思います。

2016年9月27日(火)
教える,育つ。その2

 私の仕事は,学習参考書の編集です。もう,何十年も小・中・高の学習参考書にかかわってきているのですが,いちばんしたくない仕事は中学入試関連の仕事です。生活のためにしかたなくやるのですが,いつも心が折れそうになります。だんだん,自分のつくっているもの全てが,世の子ども達の毒になっているような気分に襲われます。
 今,子ども達と関わっている中に,そのことに対する贖罪のような気持ちがどこかにあります。卓球が中心になっているのですが,どちらかというと,学習のほうが気にかかっている自分がいます。
 最も問題なのは学習評価の低年齢化です。大学入試にもなれば,思い切り勉強してテストの点にこだわるのもいいと思います。AO入試や推薦などは,なくてもいいんじゃないかと思うほどです。一方,小学生の学習評価のあり方は危機的な状況だと感じています。

2016年9月26日(月)
教える,育つ。その1

 教える,育つで教育となります。教員の方々が多いところで,教育論を言いたくはありません。が,このところ,どうしても考えてしまうことがあります。どうしてこんなに急ぐのだろう,どうしてこんなに結果を求めるのだろう。学習もスポーツもすべてにおいてです。
 もちろん,やっている本人が結果を求めるのはいいことだと思います。結果のでていない努力に満足なんかするな,と若いころはよく言い合っていました。うまくいかなかったときに,「よくがんばった」なんか言われようものなら,ぶち切れていたときもあります。
 今,思うのは大人の側。大きく育つためには,大きな根をはらねばならない。大きく根をはれる環境を整えて,あとは個性の成長を待つためには,何が必要なのか。今回は,おこがましくも少し私見を書いてみたいと思います。

2016年9月15日(木)
卓球の未来

 昨日までの話は,ふつうの中学生の話。練習量やレベルによって大きく変わります。ラバーの消耗も激しく,全国レベルの高校生ではラバーは1か月ももたないでしょう。蝶社のTなど高額なラバーを月に2回も貼れば,ラバー代だけでも月に2?3万かかってしまいます。トッププレーヤーはメーカーからの提供を受けてラバーをふんだんに使い,一般のプレーヤーは用具に苦労する。こんなスポーツは健全とは言えないように思います。
 ここに,大きな声ではいいにくいブースター問題も加わります。メーカー提供のラバーと一般発売のラバーの性能に差があるのではないかという疑惑もささやかれています。(いくらトップ選手のインパクトが強いから,練習量が多いからといって,ラバーが3日ほどでだめになるでしょうか。)
 こういったところを改善し,卓球が真のメジャースポーツになってほしい。いまは,高性能で長持ちし,低価格のラバーをさがしては試すというくり返しですが。

2016年9月14日(水)
用具の話その3

 ところが,正直,蝶社のTを貼れば,当初はとてもよくボールが入る上にスピードも出ます。回転もかかりやすい。中高年で卓球を始めた人などにはとても人気があります。ただ,私の考えでは,技術の向上にはつながらないと思います。さらに,劣化したラバーはできるだけはやく貼り替えることが大事だと考えていますが,費用の関係でそれが出来ないのは,大きな問題です。私見ですが,経験の浅い中学生が使うべきではないと思っています。
 スイングスピードが遅いうちは柔らかめのラバーでスタートし,本人の特性を見ながら,ラバーの硬度・表面の摩擦・スポンジの厚さなどを考えていくのがいいように思います。ただ,金額と耐久性を考慮して,できれば3か月に一回は貼り替えられるようにする必要があると思います。
 このあたりの話を,選手や保護者としていくのが私の重要な役割。相当に用具マニアなので,かなり楽しんでやっています。ここだけの話,中学校ではもちろんできませんが,チームでは,選手と話をしてモニターになってもらうこともあります。つまり,私が買ったラバーを選手に無料提供し,試すということです。無茶なようですが,釣りマニアの人がいろんなルアーにお金をつぎこむのとそう変わらないと思います。ラバーが趣味と妻にはよく言われています。

2016年9月13日(火)
用具の話その2

 用具が重要だということを,卓球初心者に説明することは確かに非常に重要です。中学生にも,未経験の顧問にも,保護者にも。しかし,ここで問題が生じます。
 一つ目は,種類が多すぎること。ふつうの人には,何をどう選べばいいのかわかりません。
 二つ目は,ラバーの性質と本人の相性がきわめて感覚的なものであること。あうあわないは,最後は貼ってみないとわかりません。用具の相性がよいときには,選手のモチベーションは高まるし,技術も伸びやすい。また,その反対もおおいにあるように思います。
 三つ目は,価格が高いこと。自分のかせいだお金で買うわけではない中学生は,ひんぱんに貼り替えるのは難しくなります。
 よく選手や保護者に車にたとえて言うのです。「高額で高性能なラバー(蝶社のTなど)が長持ちするわけではありません。F1マシンは初級者には性能が引き出せない上に,燃費も悪いでしょう。」

2016年9月12日(月)
用具の話その1

 このブログでは,あまり技術的な話は書くまいと思っているのですが,だいすぎ先生の話に関連して,用具のことを書きたいと思います。
 どのスポーツでも,用具の研究や手入れは重要だと思いますが,卓球ほど特殊な状況はなかなかないと思います。まず,第一に使う用具によって戦い方や技術が決まってくるようなスポーツはまずありません。特にラバー。表ソフト,裏ソフトだけにとどまらず,アンチ,粒高,一枚ラバー。しかも,それぞれのカテゴリーの中でも,性質が異なります。
 特に,私の現役のころに比べれば,裏ソフトは大変な進化をとげました。それに比べれば,その他のカテゴリーはここ30年止まっているといっても過言ではありません。一時期,粒高に強烈な変化のあるラバーが増えていましたが,表面のスリップ加工禁止によって,粒高の進化はとどめをさされた感じです。もともとペン表で,粒高も大好きな私としては,じゃあ,裏ソフトにも摩擦力の限界などの規制をかけろよといいたい気持ちです。卓球は,どんどん裏ソフト一色になってきました。

2016年9月11日(日)
元気はつらつ先生にも感謝

 このところ,いろいろ疲れて余裕がない感じが続いていました。仕事がどんどんIT化され,パソコンの前に座りっぱなし。休憩時間もyoutubeでつぶしてしまうような感じです。
 社会人になりたてのころ,大阪で猛烈に仕事をしていたころ,楽しみにしていたのが毎日放送の特選米朝落語でした。夜ひとりのアパートでぼうっと眺めるTVの落語は,私の心の癒やしでした。
 いつか,米朝師匠の高座を見に行こうと思っていながら,結局果たすことはなかったのですが,全集の第一弾(十巻)のDVDだけは買いました。久しぶりに思い出し,おすすめの「はてなの茶碗」「帯久」を見直しました。
 あのころを思い出すようで,何か元気が出てきました。元気はつらつ先生にも感謝です。でも,全集の第一弾しか持っていないので,見たかった「骨つり」なんかをついyoutubeで見てしまい,なんのこっちゃという感じです。見たい方はご連絡いただければDVD貸しますよ。

2016年9月10日(土)
だいすぎ先生に感謝

 だいすぎ先生のおかげで,長年の疑問が解けました。というのは,だいすぎ先生のブログの山本五十六の歌の話。実は,私もこの歌をずっと心にとめて指導していたのです。その始まりは,私が現役引退後に出身大学の女子コーチをした夏のことでした。
 とても暑かったこの夏が終わり,あるところに書いた文章にこの歌をのせたことをよく覚えています。ただ,何で読んだのか,また,なぜ卓球と結びつけて考えたのか,自分の中でずっと疑問に思っていました。
 この夏,毎日テレビをつける度に,日航機の御巣鷹山墜落のつらいニュースが続いていました。そう,1985年のことです。だいすぎ先生の紹介していた本で間違いありません。初版の発行年度まで書いて下さっただいすぎ先生に感謝です。

2016年9月8日(木)
中学の外部コーチ

 私の失われた中学時代,彼の失われた中学時代,これらを少しでも取り返し,目の前の子ども達に受け取ってほしいと思います。何に遠慮すること無く,思い切り卓球できる環境をつくりたい。外部コーチをしている最大の理由はここです。
 卓球がすばらしいスポーツとして認識される予兆がただよっている昨今,この地域の卓球熱をもっとあげたい。そのためにも,県大会の優勝をなんとか勝ち取りたい。そう思いながら,卓球場に向かいます。

2016年9月7日(水)
なつかしい人その3

 昨日紹介した彼が,高校時代につぶやいた言葉が忘れられないです。
 私の地区の中学校は,彼の時代は弱小校でした。地区大会の予選リーグであっさり負けた後,彼はなかまにこう言ったそうです。「くやしいから,これから帰って練習しようぜ。」なかまの返事は,「おまえバカか。おれらはおまえみたいな卓球きちがいじゃないんや。」
 彼はそれ以上いいませんでしたが,そのころの彼は,なかまと卓球を楽しむ感じがまるでなかったのです。とげとげしく,彼と卓球しても楽しくない,といった印象でした。その背後には,こういう中学時代があったのかなと思いました。

2016年9月6日(火)
なつかしい人その2

 この地域で卓球にかかわり始めたころ,もう10年も前のこと。1人の男子高校生がいて,一緒に卓球していました。卓球は大好きだけれど,結構暗くて話し下手で,とんがって生きているようなヤツでした。頼まれて,卓球できるところを紹介したりもしたけれど,誤解されて嫌われることもありました。
 先日,本当に久しぶりに電話があって,卓球場に現れた彼は,すっかり好青年になっていました。高校,大学と卓球を続け,少し間が空いたものの,今は関西で社会人卓球をがんばっているようです。卓球も非常に強く,いい卓球ライフをおくれていることがすぐにわかりました。

2016年9月5日(月)
なつかしい人その1

 先日,大学生になった女子や社会人になった女子がたずねてきてくれました。それぞれ,思うようには卓球できていないようですが,また,やりたいなあと語っていました。
 女子チームつくって,試合にでれば。世話役やってあげるよといったら,とてもうれしそうでした。今すぐは無理でも,少しずつ,OBやOGが増えてきて,やがて彼らがこの地域の卓球文化の根っこになってほしい。久しぶりにあう子ども達は,すっかり大人の女性になっていました。

2016年9月4日(日)
卓球が変えてくれた

 中学時代にさっさと卓球をやめたはずの私は,なぜか高校で卓球の道に帰って行き,大学時代には猛練習にあけくれます。その後,いろんなことがあっても,なぜかいつも卓球に帰ってしまいます。
 元来なまけもので芯の弱い私は,生活が乱れたり,心が乱れたり,しょっちゅうです。ところが,卓球はそれを許してくれません。心を強く,生活習慣を大事にしないと強くなれない,勝てない。大好きな卓球にだけはしがみつきたくて,自分の人生は,そのたびに正道へ引き戻されてきたように思います。
 今,中学生を見るたびに思います。自分の中学時代よりずっとマシだと。だから,頑張れ。今,うまくいかなくても好きなことにしがみつけ。いつか,自分の中に何かが芽生えて,それが自分の一生の宝物になるかもしれないよ。

2016年9月3日(土)
私の中学時代

 私の中学時代といってもはるか昔のことです。だいすぎ先生が書かれていた葛新愛よりもまだ前,小学生の大会なんかまったくなかったころの話です。
 みんな同時に中1で卓球をはじめ,最初は球拾いばっかり。学校の近くにあった中華料理店の物置に卓球台があり,家が近所の友達に誘われて一緒に球を打つのが何より楽しかったです。さあこれからという夏休み前,私は体に問題が発覚し,しばらく入院検査を余儀なくされます。9月から復帰したものの,激しい運動やトレーニングは制限され,いつしか幽霊部員になっていきました。
 中学時代に部内以外で試合をしたことは一度もありません。2年の終わりには,部もやめて,卓球への情熱なんてどこにもなくなっていました。

2016年9月2日(金)
夏の終わりに

 少し,時間が空きました。どこも3年生が引退し,新チームで秋の新人戦を目指して頑張られていると思います。
 3年生最後の夏の大会は,いつも特別な思いで見てしまいます。特に先につながるわけでもないこの大会,3年生のベンチには入らず,観客席からながめるようにしています。いろんな感情が複雑にわきあがるのには参ります。少し目頭が熱くなるときもあります。
 いつも思います。1年生はまだ子ども,3年生は急に大人になりはじめます。これからの彼らの人生において,この中学時代が実り多きものとして思い出されれば,幸いです。

2016年8月16日(火)
雨ニモマケズ

 何か,格好いいことばかり書いていて,少し気恥ずかしくなってきました。実際には,日々バタバタとあがいているだけなのです。雨ニモマケズ,風ニモマケズがんばろうという気持ちで,あと数年やってみようと気力をふるいたたせています。
 卒業した子たちが卓球を続け,やがて,生まれた子どもたちが卓球をはじめ,そうやって,この地が卓球のさかんな地域になっていけばいいなと思います。今,この地で剣道がとてもさかんなように。
 格好つけついでにもうひとつ。結構,これ本心なのです。
「ホメラレモセズ クニモサレズ サウイフモノニ ワタシハ ナリタイ」

2016年8月15日(月)
卓球,勉強

 中学1年のころは,夢中になって卓球していた少年少女が,やがて塾通いに疲れ,成績に悩み,好きなはずの卓球に没頭できなくなるのを見るのは非常につらいものです。さあ,ラストスパートと思う中3の春からは,塾からも尻をたたかれて元気がなくなる子が必ず出てきます。
 以前,親から頼まれて指導していた子がいました。親は卓球に無関心でしたが,子どもの熱意にほだされ,私に頼んできたのです。中3の4月にこう言われました。「お世話になりました。ぼちぼち勉強させないと,いつまでも卓球ばかりやらせてはいられませんものね。」
 怒りというより悲しかったです。この子に限らず,とてもいい子だけれど親に自分の意見を言えない子がいっぱいいます。あんまり悲しいので,最近は,自宅でちょこちょこ学習指導もしています。少し手助けして自主学習できるようにすれば,塾なんか必要ない子がほとんどだと思うので。

2016年8月14日(日)
試験期間

 中学の試験期間というのは,よくわかりません。試験中も私のところは関係なくやっています。試験期間と関係なく,ふだんから勉強も卓球もすべてやるというようにはならないものかと思います。試験期間には一通りの確認だけにして(どうせ提出物とかあるのですから),試験が終わってからできなかったところを勉強するのが一番効率的だと思うのですが。
 子どもにはよくそういうのですが,保護者に理解してもらうのは大変むずかしい。定期試験前に,他のことが何もできなくなるほど勉強しているとも思えないのですが。どちらかというと,ひまになったら勉強もぬるくなるように思います。
 また,先生たちに怒られそうですね。

2016年8月13日(土)
練習時間

 昨日,水があふれるというたとえ話をしました。ただ,体にしみこむ感覚というのは,最低でも千時間,二千時間といった練習の中にあるものだと思っています。我が中学校(文部科学省の方針どおり)の練習時間を考えると,中学通算で五,六百時間がいいところなのではないかと思います。そういう意味では,中学校では水があふれないということになり,卓球から他のことに興味が移っていくのは必然と言えます。
 社会体育としてプラスの練習時間を入れ,何とか卓球の楽しさを伝えたいと思っています。ここ数年,目標の成績には届いていませんが,高校で卓球を続ける子が8割くらいになっています。たまたまかもしれませんが,少しはいい流れになっているのかなと考えています。
 一流をめざす選手は,一万時間,二万時間と練習していかねばなりません。卓球強豪校では,年間二千時間くらい練習する生徒もいます。ふつうの生徒はそこまではできません。それぞれ,別の道ですが,力の限り進んでいってほしいと思っています。

2016年8月12日(金)
卓球年齢

 同じリオで福原愛選手が絶好調です。3才から卓球をはじめた福原愛選手は,選手生活25年。これまでの練習時間のトータルは,いったい何時間になるのでしょう。
 私の感覚としては,個人差はあれども一定の時間練習を続けると,ある頃から急に卓球が体にしみこんでいくように思います。コップに水を注ぐとやがてあふれるような感じです。難しいのは,コップの大きさは人それぞれで,しかも中はうまく見えないということ。いつあふれるかわからない努力を続けていかねばなりません。
 指導者としては,水を注ぎ続ける応援をすることと,コップに穴が開いていないか注意することが最も重要だと考えています。最初に水があふれる感覚を得ると,次からは選手自身が,もっとうまくなりたいと貪欲になるのではないか。このように考えると,最初に水があふれる瞬間を,はっきり記憶にとどめられる中学生は幸せだと思います。(幼少期から卓球をやっているから,卓球が大好きとは限りません。)

2016年8月11日(木)
リオオリンピック

 リオオリンピック卓球女子に,53才の倪夏蓮(ニ・シャリャン)選手が出場し,活躍していました。懐かしい気持ちで見ていました。その昔,まだ高価だったビデオで,すり切れるまで見た選手です。
 今の人たちは,変わった選手というとらえ方をするでしょうが,私たちの世代では,女子のスーパープレイヤーの1人でした。80年代初頭における最先端のプレースタイル(両面同色の時代です)で,基本技術の高さ,反転プレーのたくみさなど,これはこれで膨大な練習量に裏打ちされるものです。
 結局は,練習量(質の高い)が必要なのです。あらためて,卓球はとても難しく,長い時間をかけて追求される競技だと思います。

2016年8月10日(水)
栄光無き…

 その昔,「栄光無き天才たち」というコミックが好きで,読んでいました。先日,岡山インターハイを見学し,インターハイチャンピオンは栄光を手にしたのだろうかと複雑な気持ちになりました。
 昔なら,インターハイチャンピオンは間違いなくU18のナンバー1でした。目の前の岡山インターハイも確かにすばらしい試合でしたが,この上位の選手達の中に,本気で東京オリンピックを目指せる選手が何人いるのでしょう。そういう意味では,彼らの多くもまた,「栄光無き天才たち」なのか。ほとんどの選手が大学でプレーし,企業でプレーし,国際大会に出ることも無く終わるのです。
 私が指導している選手達は,「栄光無きふつうの人たち」です。しかし,オリンピックという視点から考えれば,同じことになってしまいます。(もちろん,同じなどというのは,はなはだ失礼なのはわかっていますが。)だからこそ,結果にこだわることと,結果に関係なく物事に向かうことを同時にやらねばならない。卓球だけに限りませんが。

2016年8月7日(日)
ライ麦畑の捕手

 「ライ麦畑でつかまえて」(The Catcher in the Rye)という小説を読んだことがあるでしょうか。学校にも社会にもなじめない主人公ホールデンは,何になりたいのか聞かれ,こう答えるのです。
 「広いライ麦の畑があってさ,そこで何千っていう小さな子供たちが,みんなでなんかのゲームをしている。あたりには誰もいない――誰もって大人はだよ――僕のほかにはね。で,僕はあぶない崖のふちに立ってるんだ。僕のやる仕事はね,誰でも崖から転がり落ちそうになったら,その子をつかまえることなんだ――つまり,子供たちは走ってるときにどこを通ってるかなんて見やしないだろう。そんなときに僕は,どっかから,さっととび出して行って,その子をつかまえてやらなきゃならないんだ。一日じゅう,それだけをやればいいんだな。ライ麦畑のつかまえ役,そういったものに僕はなりたいんだよ。」 
 学校の先生には怒られるかもしれませんが,どうも教えることも教わることもきらいです。こんな風に自由でありたい。でも,そのためには大きな声も出さねばならない。毎日葛藤しています。

2016年8月6日(土)
たかが○○

 「たかが卓球,されど卓球」もう長い年月,私の座右の銘です。
 「たかが卓球」のところで,お怒りのむきもありましょう。しかし,肝心なのは「たかが」という視点を忘れずに,それでもそのことに必死で取り組むということです。少なくとも,私の考え方はそうです。
 もちろん,自分自身は(選手時代も含めて),こんな実践ができているわけではありません。ただ,卓球以外のことはどちらかというと,できている気がします。
 「たかが人生,されど人生」こういうふうに生きたいと思っています。

2016年8月5日(金)
没入感

 最近,何かのTV番組で耳にしました。この感覚が青少年に足りないと。私もそう思います。何かにのめりこんでいく感じがないと,どうにも物足りない。昔,ある保護者が嘆いていました。「勉強もスポーツも適当で,ゲームなら何時間でも夢中でやっているのに。」
 「じゃあ,とことんゲームをやらせてみたらどうですか。私,ドラクエを60時間くらい続けたことありますよ。もっとも,仕事を休むわけにはいかなかったので,そこまででしたが。ちょうど夏休みだし,いいじゃないですか。」と言ったら,白い目で見られました。
 犯罪行為でも無い限り,たいていのことは思いっきりやってみればいいと思います。それで失敗してもいいじゃないですか。

2016年8月4日(木)
私にできる応援

 卓球に夢中になって没頭できる環境をつくること。そのために,技術を教え,体をきたえ,用具の相談にのり,ほめてやり,しかり…。でも,最も大事なことは,球を打てる時間をつくってやることです。
 私のところでは,小学生も中学生も高校生も一般も一緒に球を打ちます。球に向かう気持ちがしっかりしていれば,弱かろうが強かろうが(強いといっても水谷選手からみればしれているでしょう),同じ卓球を愛する選手です。この心がない者は認めないし,この心を育てるために指導をしています。
 そして,この心をしっかりと育てるためには,やはり勝利という栄養が必要なのです。「楽しくやれているからそれでいい」というのは,大人になった人たちが考えることだと思います。

2016年8月3日(水)
クラブチーム,スポ少,部活

 小学生での卓球経験者の多くがスポ少所属だった時代から,幼少期からクラブチームでプロ養成にいそしむ時代に,卓球は入っていきました。しかし,中学生の競技の中心が中体連主催の試合にある状況は変わっていません。中学から卓球をはじめる子のほうが圧倒的に多い中,あまり好ましくない状況に入ってきているように思います。
 「中学はじめ」だとか「○○クラブの選手」だとか,子どもたちの間では,序列やレッテルがおおはやりです。
 こんなつまらない状況はない。過去の経験量の差はどうしようもなくても,未来を向いた目線を持たなくては,スポーツではないと思います。現在の練習量も人それぞれ,できることとできないことはあります。自分にできる努力を精一杯やる選手を私は応援します。

2016年8月2日(火)
現在の状況

 現在の状況からお話しします。一般の学校開放を利用し,火水木土に夜間練習をしています。一般の開放ですので,中学校の練習ではありません。
 数年前は土曜日の夜だけで,一般もまじったなごやかな練習会でした。レクリエーションスポーツとしての卓球に小・中学生が入っている楽しい練習会でした。もっとハードにやりたい小・中学生には,クラブチームを勧めていました。
 私のいちばん重要な役目は,卓球未経験の顧問率いる学校とクラブチーム所属の選手たちのなかだちをして,どちらもがうまくいくように調整することでした。

2016年8月1日(月)
このブログを書くきっかけは

 少し前に,884先生がつぶやかれていました。文部科学省の出す部活方針ガイドラインについて。この問題は,かなり前から私の問題でもあります。
 私が外部コーチに入る前から,そして今も,我が中学校の方針は変わりません。平日は週1回休み(たいてい水曜日),土曜日が半日,日曜日は休み(練習試合や大会は参加)です。補うために,朝練は毎日30分やっていますが,県大会に出場する部はごくわずかです。
 このことに,かなりいらだった時期もありました。絶望的に練習時間が少ないからです。4台の台に2〜30名の男子部員。夏場はまだしも,冬は…。
 私には,学校のルールを変えることはできません。幸い,顧問の先生が何度か替わっても,どの先生も私としっかり対話してくださり,よりよい方向性をさがしてくださいます。学校体育と社会体育の幸せな融合を考え,チャレンジを続ける毎日です。

2016年7月31日(日)
夏がくるたびに

 はじめまして。このたびブログに参加させていただくことになりました。中体連の顧問教師ではなく,外部コーチの立場や視点から,想ったことを勝手にかかせていただきます。しばらくおつきあいください。
 私が外部コーチをしているチームの今年の夏は終わりました。(もっとも,ほとんどの学校がそうでしょうが。)まだ残っている学校の健闘を祈りつつ,新チームの骨格づくりに必死です。
 夏の暑さは苦手ですが,なぜか,卓球場にいるのは耐えられるのです。はるか昔,必死で練習していたときの記憶がそうさせるのでしょう。できれば,この次こそ,「8月を戦うチームでありたい」と想いつつ,卓球場に向かいます。(仕事もしていますよ。もちろん。)